2022年8月15日月曜日

夏の変化3つ

 金髪をやめた。とうとうやめた。やめる決意はだいぶ前から固まっていて、かなり暗い茶色のカラーを入れたりしたのだが、それは1週間くらいでみるみる薄まってしまい、結果として元の金髪に戻る、という形での金髪が継続されていた。やはり髪の色をきちんと戻すためには黒髪戻しをしないといけないようで、しかし前にもやったけど、本当に黒の黒髪戻しは、元々の黒よりもだいぶ黒の濃い、「俺は漆黒の闇の代弁者」みたいな中二病のコスプレのようになってしまうので、それが嫌だった。しかしお店でうーむ、と思いながら棚を眺めていたら、黒髪戻しの茶色版という商品があったので、これだ、と思い買った。買ったけどすぐには使わなかった。実は買ったのはひと月近く前だ。これはなぜかといえば、この期に及んで迷っていた。飽きてやめようと思ったくせに、いざやめるとなると、せっかくの金髪がもったいなく思えて、もうしばらく続けてもいいのではないか、髪の根元側、全体の4分の1くらいは既に黒いわけで、施術はせず、このまま1年くらいかけて、金髪がその時々でカットされてゆくことで、ゆるやかに黒髪に戻っていけばそれでいいのではないか、などと思った。それでもこのたび、やっぱり薬剤を使って茶色く染めた。紫外線と、塩素と、長さで、髪の健康状態が実際えらいことになっていたので、ビジュアルどうこうというより、ここらできっぱり是正しなければならない、と思った次第である。そんなわけで短く切ってもらい、そののちに茶色く染め、これを契機に買ったダメージリペア系のシャンプー、コンディショナー、トリートメントに切り替え、一気にいたわるほうへと舵を切った。髪の毛はさぞや、主人の急な心変わりに戸惑っていることだろう。これまでの虐待のトラウマもあり、夢のような扱いを受けながら、まだ素直に受け入れられないでいると思う。どうせそのうち、主人は気まぐれに私にひどいことをするのではないか、と疑っているに違いない。正解だ。主人の悪い虫は、どうしたってまた騒ぎ出す。ごめんな。死なないでな。

 スマホを買う。買った目的については、「nw」に記した通りである。じゃあここではなにを述べるのかと言えば、僕と、ガラケーと、タブレットと、スマホにおける、心の変遷や関係性についてである。なんだそれは、と思われるかもしれない。心の変遷ってなんだよ、ただ新しい機種に乗り換えていくだけのものだろ、と。
 そうではないのだ。ちょうどcozy ripple新語・流行語大賞のために過去の日記を読み返しているところなので、そこに綴られた思いが、いま自分の中でわりと生々しくあるのである。
 ガラケーから、仕事の都合でLINEをする必要に迫られ、まず8インチのタブレットに乗り換えた。2018年の4月のことである。あの小さい、魔法のような、持っている人間が調子に乗っている、スマートフォンというものにどうしても抵抗があり、俺は電話もできるノートパソコンを持つのだ、という妥協点としてのタブレットであった。それから仕事が変わり、新しい職場において、今度は電話をポケットに入れて持ち運べるものにする必要に迫られた。必要に迫られるというか、それはガラケー時代からの、世間の当たり前であった。タブレットしか持っていない人間が異常なのだった。それで仕方なく、6.5インチくらいの、いわゆるスマホを持つことになった。2021年の2月のことである。しかし忸怩たる思いでそれを持ちながら、僕はいちどタブレットを挟んだ矜持から、自分はスマホの軍門に下ったわけではなく、あくまで電話もできるノートパソコンが手のひらサイズになった、そういうものを持っているだけだ、と当時の日記の中で主張していた。それから、まあいろいろあって、再び僕は、電話をポケットに入れて常に持っておく必要がない境遇になった。そしてこの期間に溜まった様々なフラストレーションの象徴として、スマホに対して猛烈な忌々しさを感じていたため、その反動として、当てつけのように今度は10インチのタブレットに乗り換えた。2021年の10月のことである。これは必死に弁明するまでもなく、とてもノートパソコン性が高かった。8インチの頃は、まだ大きめのメモ帳サイズというか、コートの大きめのポケットなら入らないことはないかも、くらいで、携帯電話の範疇に片足は残っていたが、10インチともなると、それはもう大学ノートの大きさであり、むしろ電話機能があることに違和感があるような代物だった。でも電話なんて帰りの車中でファルマンと話すだけなので何の問題もなく、画面の大きさはやはり魅力的であった。しかしいかんせん安物なので、機能が乏しかった。カメラの画質の悪さ、Bluetoothの不具合、電池の消耗の速さなど、不都合に思う場面は少なくなかった。なにより重たかった。
 それでこのたび、「nw」に書いたとおりの理由から、いよいよ自分の意志によってスマホに乗り換えた。画質のいいカメラで写真を撮り、それをインスタグラムなどにアップする心積もりもある。きわめてスマホなのである。もはやノートパソコンの小型版という言い訳はしない。スマホを、スマホとして買った。僕はスマホユーザーであると、堂々と宣言する。長い年月をかけて、ようやくその境地に至った。僕がその境地に至る間に、iPhoneは13に至った。長い長い遠回りをした。
 あんた、そうやってウロウロして頻繁に買い換えるんだったら、高いやつが買えたんじゃないの、とファルマンに言われたが、はじめのタブレットから今回のスマホまで、4台の合計はせいぜいが7万円くらいのものだ。試しにiPhone13の値段を検索したら、12万円とかしていた。たっか! 高いんだろうとは思っていたが、まさかそこまでとは。信じられない。思考停止でなんとなくiPhoneを買うような輩(親あたりの世代を想定)が、12万円分の機能を活用しているとはとても思えない。阿呆だと思う。

 子ども部屋体制の刷新に伴う模様替えで、夫婦の部屋とピイガの部屋がマーブル模様になっていた。ピイガの学習机が夫婦の部屋に来て、ファルマンとピイガがピイガの部屋で寝る、という中途半端な状態だったのだ。これは、ポルガがひとり部屋になったのに伴い、ピイガもひとり部屋を持ってしまえばいいものを、ひとりで寝るのは嫌だと本人が拒んだ結果としてそうなっていた。この結果、僕はひとり寝の日々であった。しかしこんな宙ぶらりんな状態は長く続かないだろうと予想していて、案の定もう終わった。ピイガがひとりで寝ることを受け入れ(ただし寝かしつけはするという条件付き)、学習机は子ども部屋に帰り、その代わりにファルマンとファルマンの布団がこちらの部屋に舞い戻ってきた。まあ真っ当な、然るべき形である。われわれ4人家族は、ようやくこの部屋割りに至った。これがこの4人で生活する中での、到達点だろう。そう考えると少しだけ寂しくもある。