健康診断の結果が出る。心待ちにしていた。だって3月、ほぼ酒を飲まなかった。そんな生活を25日も続けて、診断を受けたのだ。それはもう途轍もなくいい結果が出るだろうと期待していた。いや確信していた。それで大きい封筒を開けたら、中から「紹介状在中」という小さな封筒が出てきたので衝撃を受けた。今年の僕には入っていないはずだったやつ。今年も入っていた。いらない。いらないはずだったのに。
表を確認すると、引っ掛かったのはもちろん肝機能だった。引っ掛かるのはそれ自体が嫌だけど、なんかしらに引っ掛からなければならないのだとしたら、なじみのある肝機能がいい。肝機能なら、原因が明白だから。ちなみに今年のGTPは106。正常は~50。去年は134。去年より良くなっていると言えば聞こえはいいが、いまいち効果が足りない。もっと落ちていてしかるべきだ。106は身の回りの酒飲みたちが武勇伝のように語る数値からすれば屁のようなものだが、それでも満足がいかない。さらに言えば、同じく肝機能のチェック項目であるASTやALTももちろん基準値を超えているのだが、それらの数値は去年とまるで変わっていない。変わっていないってなんだよ。3月も普通に飲んでいた去年と、3月ほぼ飲まなかった今年で、変わっていないっておかしいだろう。じゃあ飲むよ、って話になってくる。飲まない分だけ損じゃないか。こんなことがあっていいのか。
それでこの結果を踏まえ、今後どうするか。酒をまた毎日飲むようにする、ということにはさすがにならない。もう気持ち的にも必要なくなったし。飲むにしたって週末だけだ。そしてオルニチンのサプリとか摂ってやろうと思う。1ヶ月で足りないなら1年だ。来年こそ基準値まで落す。もうトサカに来た。肝機能やってやんよ。1年そうやって努めて、そして来年それでもまだ紹介状が封入されていたら、そのときは大病院に行って精密検査をしてもらおうと思います。
職場の有線で「トイレの神様」(植村花菜)が流れて、流れるたびになんとも言えない気持ちになるのだけど、流行った当時はただもう純粋に「へっ」としか思っていなかったこの曲が、年月が経ち、もう世間の熱がすっかり冷めたところで、ようやくおもしろく思えてきた。逆にいま「トイレの神様」を持ち出してきたらウケんじゃね、と思う。
この曲はかつてとても流行ったことで、メロディだったり歌詞の内容だったりを、けっこうみんなが知っている。ここがいい。だから替え歌にして、カラオケで10分超、朗々と唄ったらば、それはけっこうなエンターテインメントになるのではないかと思った。
それでどんな替え歌にすればいいかと考えた。テーマはもちろん性的なことで決まりだったのだけど、全寮制の中高一貫女子校を舞台にしたり、美術部のヌードデッサンのモデルが勃起してしまって構図が崩れる物語で考えたり、いろいろ思案した末に、シンプルにいちばんおもしろいのは、「トイレ」の部分だけを「チンポ」に替えることではないかという結論に至った。チンポにはそれはそれはきれいな女神さまがいるんやで。
携帯電話がいよいよおかしなことになってきた。故障ではない。立ち位置の意味不明さの話である。スマホに対する嫌悪感から、ガラケーを保ちつつタブレットを持つようになったのがちょうど1年ほど前のことである。単純にスマホにしてしまわないところに、一種の矜持を持っていた。俺は蒙昧にスマホ窟に没落してしまわないのだぞ、と。
しかし1年経って、タブレットでネットをしたり音楽を聴いたり文章を書いたり、わりと便利に使う横で、ガラケーの使わなさと来たらどうだ。それまでガラケーで行なわれていた家族内のやり取りもLINEでできるようになってしまったら、ガラケーは本当に鳴動しなくなった。あ、朝にだけ鳴動する。本当にその機能だけ生きている。それ以外ない。
この状況になってみて思うことは、「ガラケーの矜持ってなんだよ」ということだ。スマホに対する嫌悪感が、僕のガラケーへの思いを無駄に掻き立ててしまっていたようで、別に僕にはガラケーに誇りを持つ義理なんてないのだった。スマホが嫌いなことと、ガラケーを愛することはイコールではない。別にガラケーに愛なんてなかった。
だから、なんかもう、本当にタブレットだけでいい気がしてきた。