数日前、国内のどこかの空港で飛行機が離陸を失敗した、というのがニュースになっていた。最初ヤフーニュースの見出しで見たとき、すわ墜落かと思ったのだけど、失敗したのは離陸のほうだった。ちょっと意外だった。
もう久しく飛行機に乗っていないが(練馬から島根に移住する際に乗ったのが最後だと思う)、乗った時の記憶を掘り起してみると、飛行機に乗ったときの恐怖や絶望感というのは、飛行機が浮かんだ瞬間に発生するのだ。その瞬間、やってしまった、と思う。飛行機が絶望感の乗り物だと、その前の搭乗で思い知ったはずなのに、俺はまたやってしまった、また浮かんでしまった、浮かんでしまった以上、もう俺の生殺与奪は機長次第だ、そしてこの飛行機の機長はドイツかどこかで起ったあの事件のように頭がおかしい奴だし、さらに言えばこの機体に関してはなぜか整備士もぜんぜん整備をサボった。だからもうおしまいだ。浮かんでしまったらおしまいだ。そうなる。
離陸失敗はそれの回避に他ならない。僕がこの飛行機に乗っていたら、たぶんガッツポーズをしていると思う。そして航空会社がくれる陸路の交通費をホクホクしながら頂く。
和製英語の話ってきな臭い。「普通に英語だと思って日本人が使っているこの言葉、実は和製英語で、外国人に向かって使ってもぜんぜん伝わりません!」というのが、和製英語話のお決まりのパターンなのだけど、さらによく聞いてみたら、「その表現はアメリカ英語では〇〇、イギリス英語では××といいます」なんてことを言う。それが納得いかない。そこで既に分かれているのなら、我々の和製英語だって表現のひとつとして認められたっていいではないか。言っておくが、別にどうしても認めてほしいわけではない。ただ和製英語話のときの、「ブー! それは和製英語! 嘘のダサいやつです!」みたいな空気に対し、激しい義憤を覚えるのである。それを言う奴が大抵帰国子女だ、というのも怒りを増幅させるポイントだ。ちなみにフライドポテトは和製英語で、アメリカ英語ではフレンチポテト、イギリス英語ではチップスだそう。うるせえよ。ケンタッキーフライドチキンがあるんだから、油で揚げたポテトはフライドポテトでいいじゃねえか。なに言ってんだ。
教本をたくさん読み、プールに週に3、4回のペースで通って、そして思った。
まあこのあたりが俺の水泳の才能の限界だろうな。
これ以上はもう伸びていかない。伸びしろがない。才能がある人たちはひゅんひゅん飛び越えるだろう壁に、突き当たってしまった。それをあるとき痛切に感じた。
それでファルマンに、
「どうやら俺は、インターハイとかには行けない人間のようだよ……」
と打ち明けた。
するとファルマンは、「い、いいんじゃない。別に」と言った。