2018年6月9日土曜日

CD・指輪・車内

 バトンを回すときにイヤフォンで聴く曲というのを模索している。いま音楽を聴く基準の大部がそこに行っていると言ってもいい。音楽には2種類ある。バトントワリング映えするものとしないものだ。そしてその曲はそのまま、いつ誰に披露するとも知れない、僕によるバトントワリングの演舞において使用するBGMになるのである。
 最近のヒット曲として、「世界の愛唱歌」的なCDに収録されていた、中国と、スイスと、ルーマニアの合唱曲というのがある。僕のバトントワリングの演舞を観る(はめになった)人たちは、そんなに上手いわけではない30代中盤の男性のバトントワリングを観るという、もうそれだけで十分に不条理な気持ちになるだろうところへ、さらによく判らない言語の、聴いたことのない合唱曲が被さってくると、それはもう眩暈がするほどの幻惑効果があるのではないか、観客の皆さまに無駄な時間を過させるせめてもの罪滅ぼしとして、頭がふわふわしてちょっとしたトリップ効果くらい享受させられればいいと、そんな風に思うのだった。
 さらにはそのあと「世界のフォークダンス」的なCDを手に入れて聴いたら、それもまたよかった。フォークダンスのなにがいいって、フォークダンスは絶対に集団で接するものであるという、その感じがいい。iPodに取り込んで、僕はひたすらひとりでイヤフォンで聴くわけだけど、それがフォークダンスだと、ひとりで聴いているんだけどひとりじゃないというか、30億年前のひとつまえの地球文明のときにはいたたくさんの友達たちとこの曲で一緒にたくさん踊ったよな、みたいな、そんな気持ちになる。それですべてが懐かしくなって、自分の宇宙生命(コスモゾーン)の一部になりたくなる。そんな幸福感をもたらしてくれる。だからバトントワリングの演舞のBGMにもいいんじゃないかと思うが、せっかくフォークダンスソングを流して、誰かがそれを観てくれるのなら、その誰かたちとフォークダンスを踊ったほうがよほどいいとも思う。

 ファルマンとお揃いの指輪を買う。8月で結婚10周年だから、という理由ではなかったのだけど、ちょうどいいからそういうことにしてしまってもいいような気もする。
 結婚するときに結婚指輪を買って、僕はそれ以来ずっと着けていて、先日ちょっと外そうとしたら皮膚と癒着していて取れなかったくらいなのだけど、ファルマンは買ったときからちょっと緩めだったのが、出産を経てますます指が細くなったとかで、とても日常で着けられないほどにブカブカになってしまい、ずっと仕舞いこんでいた。だから僕だけが妻を失った後も貞節を守る寡夫のようになり、ファルマンは独身貴族を決め込んで夜な夜な盛り場へと繰り出すという、そのような図式になってしまっていた。それが今回やっと是正された。ただし僕はこの10年間左手の薬指に着け続けた指輪を外したり移動したりする気はさらさらないので、新しい指輪は右手の薬指に着け、ファルマンは着けられない結婚指輪の代わりとして左手の薬指に着けるので、やっぱり統一感がない。ともすれば僕には左手の薬指の指輪とお揃いの物を着けている妻がいて、その一方で右手の薬指のそれで示唆されるように恋人の存在があり、その恋人すなわち愛人は、その愛執により正妻の座を夢見て左手の薬指にそれを着けているという、そういう図式にも取れる。
 ちなみに新しい指輪は蛇のデザインで、頭からしっぽまでがそのまま輪になり、指に巻きついているような形になっている。頭としっぽは繋がっておらず、力を込めればいかようにも輪の大きさを変えることができる。だから商品はワンサイズで、それぞれが指の太さに合わせて調整したのだった。
 なぜ急に蛇なのかということだが、ちょっと前に読んでいた本で、「向かい干支」というのを知り、猪の我々のそれが蛇だったからである。蛇でよかった。蛇は十二支の中でもデザイン性が高く、特に指輪なんて蛇のいちばんの得意ジャンルであると思う。これが逆であったら、向かい干支の猪には手を伸ばさず、素直に干支の蛇のグッズでなんとかしようと思っただろう。かっこいい猪デザインというのはちょっと無理がある。だとすればこの猪⇔蛇の向かい合わせラインというのは、基本的に猪→蛇の一方通行であると思う。いつも貰ってばかりで悪いね。

 もう取り立てて言うほどでもなくなったが、また出張に行っていた。目的地はいつも同じなので、ずいぶん慣れた。もっとも移動時間でタブレットにキーボードを繋いで文書を作成するという当初の目論見は、いざ新幹線の座席で、隣に知らない人がいると、なかなか恥ずかしくてできたものではなく、結局そのため読書が中心になっている。今回は持っていった一般小説がひどくつまらなく(「三国志」は持っていかなかった)、しかも目測を誤って滞在中にすべて読み終えてしまい、帰り道でひどく往生した。ファルマンに相談したら、「電子書籍にしたら」と、尤もな進言をされた。そうか、電子書籍は何冊でも移動先に持っていけるのか。便利だな、それ。
 帰りの新幹線では、東京駅で崎陽軒のシウマイ弁当とビールを購い、食べた。前回の出張の際、新横浜から乗り込んできた隣の乗客がそれをして、心の底から羨ましく地団駄を踏むほどだったので、そのリベンジである。そしたらシウマイ弁当、マジでよかった。実はこれまでほとんど食べたことがなかったのだが(あざみ野駅でも売っているというのに)、あんなにいいものだとは思わなかった。俺の買ったこれだけ当たりのやつだったんじゃないの、というくらい多幸感あふれる弁当だった。特にあのタケノコ煮。あれあんなに入れてくれたら、ビールのあと日本酒も十分に行けてしまうじゃないか。こんどはちゃんとそこまで準備しよう。帰宅時にはもうベロベロになってしまうかもしれない。あと、あんずはいらない。ちょっと齧ったが、ぜんぜん意味が解らなかった。