2022年8月24日水曜日

相似・しまむら・転生

 お盆休みの直前に、amazonプライムに「This is us」の最終第6シーズンが出た。暑さで出掛けづらく、時間を持て余し気味な夏休みに、一気見すればいいという配慮なのか。意外と人情があるじゃないか、amazon。
 さすがに18話をお盆休み中に全て観切ることはできなかったのだけど、そのあとの数日と週末をかけて、このたび観終えた。ちなみに最終シーズンにして初めて、全編ファルマンと一緒に観ることができた。観かたにタイムラグがあると、先を行く一方はまだ相手に感想を語れなかったり、遅れている一方が感想を言ったら相手は既にそのシーンがうろ覚えだったりして、もどかしかったりする。また最終シーズンということもあり語るべき事柄は多々あったので、一緒に観られたのは実によかった。
 そうしてファルマンと感想を言い合いながら観ることができたので、ここで感想を述べたい衝動はない。もとい第6シーズンともなると、なにを言ってもネタバレになってしまうので、なにも言えないのだ。それでもどうしても言いたいこととして、物語の終盤、作中において、ずっとインストゥルメンタルの曲だと思っていたエンディングテーマに、急に歌詞が乗る場面があり、その瞬間、僕の頭には天童よしみの顔が浮かんだ。そのことだけ、どうしても主張しておきたく、ここに書き記しておく。

 ファッションセンターしまむらに行ったら、サウナ5点セットと銘打った商品が売られていた。Tシャツ、ハーフパンツ、フェイスタオル、サウナマット、そしてそれを収納するナップサックというセットで、値下げされていたこともあり、一瞬買おうかとも思ったのだが、結局買わなかった。というのも、サウナマット以外にはオリジナルのロゴが印刷されているのだが、そのロゴというのが、「イマカラサウナイキマス」というフレーズなのだ。そのフォントがどうこう、デザインがどうこう、というのではない。あくまで内容である。だってTシャツとハーフパンツって、それ、サウナのあとに着るもんなんじゃないの、という話だ。サウナのあとのリラックスした恰好としてのそれだろう。それなのに文面は「イマカラサウナイキマス」。ここが納得いかなかった。サウナの前にそんな楽な恰好をするシチュエーションは思い浮かばないし、かといってサウナのあとにそれを着るのも間抜けだ。たぶんサウナ情報サイトの「サウナイキタイ」を意識しているのだろうけど、ならば過去形の「サウナイッテキタ」でよかったんじゃないかと思う。あるいはやっぱり「After Sauna」ですよ。「After Swimming」Tシャツ、すごくいいですよ。プールのあと必ず着ている。

 10インチのタブレットからスマホになって半月ほどが経つ。はじめは小ささに戸惑っていたが、もう慣れた。慣れてしまえば、10インチのタブレットはなんと巨大だったのかと思う。タブレットはタブレットで存在意義があるだろうが、それを携帯電話として1台だけで持つというのは、ちょっとおかしな話だと思う。多分その人とは、あまり仲良くなれないと思う。購入の際、画面の大きさに拘泥したい気持ちはまだ色濃く残っていて、スマホにしては大きい、7インチになんなんとするような製品も候補に挙がっていたのだが、半端なことをしなくてよかった。カメラ機能を重視して買って正解だったとしみじみと思う。
 ホーム画面は、これまで歴代の端末でずっと「タッチ」の達也と南が自転車に乗っているイラストにしていたのだが、いよいよ飽きたので替えることにした。それでどういうものにするか考え、とにかく自分が目にして心地よくなるものがいいので、だとすればビキニの女の子の画像とかになってくるのだけど、ホーム画面というのはなんだかんだで他人の目に触れることもあるものなのでそれは自重し、ビキニの女の子はいない、どこかの国のきれいなリゾートプールの画像にした。さわやかでとてもいい。手のひらサイズのスマホで、ホーム画面は外国のリゾートプール。この人となら仲良くなれそうだと万人に思われること必至だ。

2022年8月15日月曜日

夏の変化3つ

 金髪をやめた。とうとうやめた。やめる決意はだいぶ前から固まっていて、かなり暗い茶色のカラーを入れたりしたのだが、それは1週間くらいでみるみる薄まってしまい、結果として元の金髪に戻る、という形での金髪が継続されていた。やはり髪の色をきちんと戻すためには黒髪戻しをしないといけないようで、しかし前にもやったけど、本当に黒の黒髪戻しは、元々の黒よりもだいぶ黒の濃い、「俺は漆黒の闇の代弁者」みたいな中二病のコスプレのようになってしまうので、それが嫌だった。しかしお店でうーむ、と思いながら棚を眺めていたら、黒髪戻しの茶色版という商品があったので、これだ、と思い買った。買ったけどすぐには使わなかった。実は買ったのはひと月近く前だ。これはなぜかといえば、この期に及んで迷っていた。飽きてやめようと思ったくせに、いざやめるとなると、せっかくの金髪がもったいなく思えて、もうしばらく続けてもいいのではないか、髪の根元側、全体の4分の1くらいは既に黒いわけで、施術はせず、このまま1年くらいかけて、金髪がその時々でカットされてゆくことで、ゆるやかに黒髪に戻っていけばそれでいいのではないか、などと思った。それでもこのたび、やっぱり薬剤を使って茶色く染めた。紫外線と、塩素と、長さで、髪の健康状態が実際えらいことになっていたので、ビジュアルどうこうというより、ここらできっぱり是正しなければならない、と思った次第である。そんなわけで短く切ってもらい、そののちに茶色く染め、これを契機に買ったダメージリペア系のシャンプー、コンディショナー、トリートメントに切り替え、一気にいたわるほうへと舵を切った。髪の毛はさぞや、主人の急な心変わりに戸惑っていることだろう。これまでの虐待のトラウマもあり、夢のような扱いを受けながら、まだ素直に受け入れられないでいると思う。どうせそのうち、主人は気まぐれに私にひどいことをするのではないか、と疑っているに違いない。正解だ。主人の悪い虫は、どうしたってまた騒ぎ出す。ごめんな。死なないでな。

 スマホを買う。買った目的については、「nw」に記した通りである。じゃあここではなにを述べるのかと言えば、僕と、ガラケーと、タブレットと、スマホにおける、心の変遷や関係性についてである。なんだそれは、と思われるかもしれない。心の変遷ってなんだよ、ただ新しい機種に乗り換えていくだけのものだろ、と。
 そうではないのだ。ちょうどcozy ripple新語・流行語大賞のために過去の日記を読み返しているところなので、そこに綴られた思いが、いま自分の中でわりと生々しくあるのである。
 ガラケーから、仕事の都合でLINEをする必要に迫られ、まず8インチのタブレットに乗り換えた。2018年の4月のことである。あの小さい、魔法のような、持っている人間が調子に乗っている、スマートフォンというものにどうしても抵抗があり、俺は電話もできるノートパソコンを持つのだ、という妥協点としてのタブレットであった。それから仕事が変わり、新しい職場において、今度は電話をポケットに入れて持ち運べるものにする必要に迫られた。必要に迫られるというか、それはガラケー時代からの、世間の当たり前であった。タブレットしか持っていない人間が異常なのだった。それで仕方なく、6.5インチくらいの、いわゆるスマホを持つことになった。2021年の2月のことである。しかし忸怩たる思いでそれを持ちながら、僕はいちどタブレットを挟んだ矜持から、自分はスマホの軍門に下ったわけではなく、あくまで電話もできるノートパソコンが手のひらサイズになった、そういうものを持っているだけだ、と当時の日記の中で主張していた。それから、まあいろいろあって、再び僕は、電話をポケットに入れて常に持っておく必要がない境遇になった。そしてこの期間に溜まった様々なフラストレーションの象徴として、スマホに対して猛烈な忌々しさを感じていたため、その反動として、当てつけのように今度は10インチのタブレットに乗り換えた。2021年の10月のことである。これは必死に弁明するまでもなく、とてもノートパソコン性が高かった。8インチの頃は、まだ大きめのメモ帳サイズというか、コートの大きめのポケットなら入らないことはないかも、くらいで、携帯電話の範疇に片足は残っていたが、10インチともなると、それはもう大学ノートの大きさであり、むしろ電話機能があることに違和感があるような代物だった。でも電話なんて帰りの車中でファルマンと話すだけなので何の問題もなく、画面の大きさはやはり魅力的であった。しかしいかんせん安物なので、機能が乏しかった。カメラの画質の悪さ、Bluetoothの不具合、電池の消耗の速さなど、不都合に思う場面は少なくなかった。なにより重たかった。
 それでこのたび、「nw」に書いたとおりの理由から、いよいよ自分の意志によってスマホに乗り換えた。画質のいいカメラで写真を撮り、それをインスタグラムなどにアップする心積もりもある。きわめてスマホなのである。もはやノートパソコンの小型版という言い訳はしない。スマホを、スマホとして買った。僕はスマホユーザーであると、堂々と宣言する。長い年月をかけて、ようやくその境地に至った。僕がその境地に至る間に、iPhoneは13に至った。長い長い遠回りをした。
 あんた、そうやってウロウロして頻繁に買い換えるんだったら、高いやつが買えたんじゃないの、とファルマンに言われたが、はじめのタブレットから今回のスマホまで、4台の合計はせいぜいが7万円くらいのものだ。試しにiPhone13の値段を検索したら、12万円とかしていた。たっか! 高いんだろうとは思っていたが、まさかそこまでとは。信じられない。思考停止でなんとなくiPhoneを買うような輩(親あたりの世代を想定)が、12万円分の機能を活用しているとはとても思えない。阿呆だと思う。

 子ども部屋体制の刷新に伴う模様替えで、夫婦の部屋とピイガの部屋がマーブル模様になっていた。ピイガの学習机が夫婦の部屋に来て、ファルマンとピイガがピイガの部屋で寝る、という中途半端な状態だったのだ。これは、ポルガがひとり部屋になったのに伴い、ピイガもひとり部屋を持ってしまえばいいものを、ひとりで寝るのは嫌だと本人が拒んだ結果としてそうなっていた。この結果、僕はひとり寝の日々であった。しかしこんな宙ぶらりんな状態は長く続かないだろうと予想していて、案の定もう終わった。ピイガがひとりで寝ることを受け入れ(ただし寝かしつけはするという条件付き)、学習机は子ども部屋に帰り、その代わりにファルマンとファルマンの布団がこちらの部屋に舞い戻ってきた。まあ真っ当な、然るべき形である。われわれ4人家族は、ようやくこの部屋割りに至った。これがこの4人で生活する中での、到達点だろう。そう考えると少しだけ寂しくもある。

2022年7月21日木曜日

夏プール・理念と業者・選考

 実はわりとプールに行っていない。前に行ったのは先週の月曜日だから、もう10日だ。
 行きたい気持ちは日々あるし、なにしろ夏なのだから今こそプールを存分に堪能すべきだろうと思うのだが、「今日こそ帰りにプールに寄るぞ」の気持ちは、10時くらいをピークにして、労働中にみるみる減退し、退勤時にはすっかり「もう買い物だけして帰ろう、そしてビール飲もう」状態になっている。毎日それの繰り返しだ。
 夏だからプール、というのは一方では道理だけど、夏で体力が減退していて運動どころじゃない、というのもまた道理である。水泳は、水気が目くらましになっているけれど、紛うことなく運動だ。そう考えれば、夏にそれがままならなくなるのは自然の摂理だろう。
 1年会員になったので、元を取ることに囚われ気味になっているきらいがあるのだが、実は7月8月は一般利用の料金が、それ以外の月に較べて高くなるので、ここでたくさん行っておくと「元取りポイント」が効率よく得られる。しかし意欲も高まっていないのに努めて行って、挙句の果てに疲弊したら、文字通り元も子もない。本当に行きたさが高まった瞬間以外は、無理をしないようにしようと思う。そして秋や春にたくさん行こう。冬は冬でもちろん行きづらい。こうして考えると、1年会員ってなかなか難しいな。

 minneがまったく低調である。単純に自分の売り物が売れていないというのもあるが、minneという媒体そのものに、魅力を感じなくなってきた。
 会員なので、ニュースレターが届くのだが、先日「夏のサンダル特集」という内容のものが送られてきた。見ると、出品されているサンダルが羅列されていた。それを眺めていて、これまでうっすら感じていたことが、確信になった。
 minne、もうあんまり素人のハンドメイド作品販売の場でなくなっている。
 サンダルじゃなくても、バッグでも洋服でも、素人が趣味で作っているレベルを超えているようなものが多いと感じていた。またその商品画像が、やけにこなれていたりして、どうも怪しいと思っていた。まるで褒め言葉のようだが、あまり褒めていない。minneの実際のところの理念なんかはよく知らんが、僕の捉えていたminneのそれからは、逸脱していると思った。そんなのは、ちゃんとセレクトショップとかに卸して売ればいいだろう。minneが目指すのってそういうところなのか。本格的で、プロっぽい、素人っぽさを削ぎ落したものが、良しとされるのか。それを良しとするのなら、そういうものを買いたいというのなら、その消費者はminneではなくお店に行けばいいのではないか。
 ヤフオクとかを見ても、同じことを感じる。ハンドメイドに限らず、一般商品の中古品においても、たくさん売り買いをしている人のやり口は、もはや業者のそれだ。そして買う側も、結局のところそういう実績のある人のところで買いたがる。じゃあそれ、もう商売じゃん。生業じゃん。はじめの理念はどこへ行ったんだ。
 どうやらもう終わったらしいが、「99人の壁」という番組も、そのままこれだった。最初は100人の、それぞれの得意ジャンルを持った人間がスタジオに集まり、そのうちのひとりが選ばれ、その人のそれが歴史なら歴史のマニアックな問題が出題されるが、その歴史の問題において、スタジオの99人の中にたまたま、その歴史上の出来事が起こった土地の鉄道が得意ジャンルの人がいて、そうやってたまたま重なった知識で、その人が正解をかっさらうと、歴史の人は脱落となり、次に鉄道の人が回答者になる、という仕組みの番組で、はじめのうちはおもしろかったのでよく観ていたが、番組作りに問題があったのと、普通に数字がよくなかったのか、末期においては最初の理念は見事に吹き飛び、「アニメ特集」などと銘打って、アニメに詳しい人間が100人集められた、ただのカルトクイズ大会みたいになっていた。
 雑多なもの、ジャンクなものは、はじめ魅力的に映るのだけど、結局は多数派の、正当なもの、評価しやすいものに収斂されて、おもしろくもなんともないものになる。
 minneに対して、いま痛烈にその感じを抱いている。

 cozy ripple新語・流行語大賞の選考がはじまった。早い。普段は9月の終わりあたりから始まるのだが、なにしろ今年の場合は、去年開催が見送られたため、2年分なのだ。去年は投稿数が少なくて成立しなかったからそうなったとはいえ、それでも2年分は2年分なのだから、準備期間も長く見ておかなければならないと思い、始めた。
 選考対象は、前回の大賞発表の翌日以降の記事からなので、はじめは2020年の11月ということになる。もう、ほぼ2年前。2年前ともなると、ちょっともう年下めいているというか、後輩めいていて、なんだかかわいい。このなんだかかわいい生き物が、日々せっせと生き、なにかを思い、そしてブログを書いたのだと思うと、しみじみ愛しい。読み返して、そんな思いを抱いている。2年空くと、こんな気持ちになるという発見である。

2022年7月8日金曜日

記憶・発言・知識

 7月8日はファルマンとの交際開始記念日である。しかしながら入籍記念日が8月8日ということもあり、いつも微妙な感じになる。祝うのは来月でいいか、となる。今年もそんな感じだ。
 それでも今年は僕にとってちょっと節目で、交際開始時の年齢が僕は19歳なので、単純に満年齢だけで考えれば、38歳の今年はちょうど倍の年数ということになるのだった(ファルマンは既に20歳だったので、倍になるのは2年後だ)。つまりもう人生の半分、ファルマンと一緒にいるということになる。意外だ。もっと長いような気がしていた。なにしろ過去の記憶があまり残らないタイプの人間なので、「ファルマン以前」の自分が、「ファルマン以後」と同じ長さを持っているということに、逆に驚いた。
 そんな節目の7月8日が、ずいぶんセンセーショナルな事件のあった日の記憶となってしまった。

 桜田元五輪担当大臣による、少子化問題に関する演説の中で、「女性はもっと男に寛大になってほしい」という発言があり、ちょっと問題になった。そのことについて思うところがあったので、私見を述べようと思っていた。そうしたらこんなことになって、この話題は世間から一気に掻き消えてしまった。おっさん政治家の女性蔑視的な発言がバッシングの的になる世界って、すごく平和だったんだな、と思う。
 それでもやっぱり書きたいから書くが、この発言に関するニュースで、街の声として女性がインタビューに答えていたのだが、その女性がこのようなことを言っていたのだ。
「これでもだいぶ許してるんですけどね」
 これを聞いて、この齟齬は未来永劫解決不能なのだな、としみじみと思った。男の「許されたさ」と女の「許せさ」は、たぶんK分くらい違う。男の許されたさが100kgのとき、女の許せさは100gぐらいだと思う。つらい。

 安倍元総理が暗殺された。ショックだ。政治に関することは知識がないので書かない。書けない。本当にバカな子っぽいが、僕にとって安倍さんは、テレフォンショッキングに出た人であり、ボキャブラ天国が好きだった人であり、サンドの伊達にモノマネされる人であり、マリオの人であり、マスクの人だ。こう考えるとけっこう親しみがあるような気がしてきた。国民に遍く配られたアベノマスクが、形見になってしまった。ご冥福をお祈りいたします。

2022年6月29日水曜日

常夜灯・髪色思い・梅雨明け

 10日ほど前に、僕とファルマンの部屋の常夜灯が切れて、ふだん寝る際は常夜灯だけの状態にしていたのだが、仕方がないので完全に暗くして寝た。その結果、目覚めがそれはもうパッチリで、いつもなら睡眠が7時間を大幅に下回ると日中がつらかったのが、その日はぜんぜん平気で、「常夜灯、あれ?」となった。常夜灯、睡眠を浅くしていた疑惑。その疑惑が作用して、新しい電球を買う意欲がなかなか湧かず、1週間くらいが経過してようやく交換した。しかし点灯するようになっても、常夜灯を点けずに寝ている。睡眠時間に対しての次の日の寝不足感が、常夜灯ありとなしでは、やはりだいぶ違う気がする。実際のところどうなのかとネットで検索したら、やっぱりそんなことを講ずるページが見つかったのだけど、しかしそれは「常夜灯 睡眠」で検索したから、当然と言えば当然だろうと思う。この場合の検索って自分の知りたい答えを探す手段でしかないので、もはや占いの類だと思う。
 今回の常夜灯のことで思い出したのだけど、僕は高校生の頃、高等なことを考えるには、頭をきちんと休ませてはいけないという考えの下、眠るときは照明を常夜灯どころか全開にして煌々と点けて寝ていたし、さらに言えば長い時間寝るのもよくないと考え、9時から12時、3時から6時というような感じで、分割睡眠を行なっていた。いま考えると、気持ち悪いし、そもそもよく体が持ったことだと思う。若さのなせる業か。男子校に通う男子高校生が、そんな思想で頭を爛々とさせて街を闊歩していたと思うと、危険だと思う。
 それから倍以上の年月が経ち、今はすっかり解脱し、とにかくたっぷり濃厚に、頭を休ませたいということばかりを考えている。

 髪染めを決行した。金髪は、なんとなく「夏に向けて!」みたいな意味合いもあったように思うが(なぜ夏に金髪なのか、と問われたら返事に窮するくらいなんとなくだが)、プリンの進行が夏本番の到来に先んじてしまい、すっかりタイミングが外れた。これは来年以降の教訓としようと思う。あくまで「以降」。きっと来年はブリーチしない。来年ではまだブリーチ賢者タイムは継続していると思う。4、5年経つとウズウズし出す。その頃に今回のことを覚えていたらいい。たぶん忘れている。
 ヘアカラーは予告した通り、ほんのりとしたブラウン系を選んだ。説明書に、明るい髪に使用すると紫がかった色味が出る場合がございます的なことが書かれていて、ふうんと思ったが、直後はまさにそれが出た。金と紺と黒と銀色が混ざったような、宇宙創成のような、一朝一夕では出せない色合いだった。こんな髪色の人は他にいないからいいなあと感動していたら、日々のシャンプーで色味はどんどん変化した。青系の要素はわりとすぐに薄れ、4日ほど経った現在、金髪とシルバーアッシュのあいのこのような感じになっている。悪くないが、金髪の時ほどではないにせよ、これでは根元から黒髪が生えてきたらやはりツートンになってしまいそうだな、と思う。まあそのときはそのときか。

 もう梅雨が明けてしまった。本当か。梅雨終盤、7月上旬にめっちゃ雨降る的なことが、今年はないのか。ないパターンってあるのか。大丈夫なのか。電力不足に水不足まで乗っかったら、もういよいよ末世の感がある。嫌だなあ。
 6月でありながらの容赦ない暑さに参りつつも、山陰だし、労働中はエアコンの効いた屋内なので、実は声高に窮状を訴えるほどは、参る境遇ではないのだろうと思う。やはり太平洋側、あるいは山間部だろう。群馬や山梨の気温を聞くと、かの地の人々はいったいどうやって暮しているのか、と思う。
 これが今から、2ヶ月以上続く。夏は、そうは言っても冬よりは、土地による差が大きくないと思う。よほどの避暑地などでない限り、日本全国、夏は猛暑日ばかりである。我々は、これからそれぞれ各人が、猛暑と闘いを繰り広げる。離れていてもこころはひとつ。猛暑に打ち克ち、元気な姿で秋の再会を迎えよう。健闘を祈る。

2022年6月21日火曜日

髪色・呼吸・女体化

 短髪の金髪にして1ヶ月が経ち、根元からは黒いのが伸びてきて、なにぶん茶髪とかじゃなくちゃんと金色なので、かなり目立つのだった。そろそろ限界かな、と思う。そうなんだよな、脱色の流れっていつもこうして、最後はド金髪にして、そうなると生えてくる髪とのギャップでおかしくなって、挙句の果てに「もうええわ!」となるんだった。また懲りずにそれを繰り返した。まあ別に懲りることでもない。脱色したかったし、ド金髪にしたかったからしたまでだ。そしてぼちぼち気が済んだ。とは言え黒髪戻しをするつもりはなく、いま僕の頭で支配権争いを繰り広げる金髪と黒髪の仲を取り持つ融和策のような、落ち着いたブラウンというかベージュというか、そういう色にしようと思う。それならば下から黒髪が生えてきてもそこまで違和感がないし、それにプールに頻繁に通っているので、塩素の効果によって、うまくいけば髪の色はずっとそんな色合いがまろやかに続けられるのではないかと目論んでいる。

 水泳のレベルをアップさせるため、あれこれ本を読むのだが、水泳時の呼吸法について書かれた本を読んで以来、どうも呼吸が乱れがちで、悩んでいる。水泳時に限らず、呼吸法って意識すればするほど、ゼロの状態よりも駄目になりがちだと思う。やれ腹式呼吸だの、吸うよりも吐くほうを長くするだの、考えてやろうとすると、途端に息苦しくなる。そしてそれまで自分がやっていた加減まで忘れてしまう。無意識にやっている状態が、結局いちばんいいんだろうと思う。思うのだが、無意識に常にやっているこの呼吸というものが、質の高いものになったらば、人生全体がバージョンアップするような薔薇色の未来が待っている気がしてしまい、つい手を出してしまう。そして苦しくなる。阿呆だと思う。

 生まれ変わっても男として生まれたい、なぜなら男にはちんこがあるからだ、という考えで生きているが、先日ファルマンに、「もしもあなたが女として生まれたらどんな子だったろうね」と、割とよくある類のもしも話を振られ、少しだけ夢想した。どうせ女の子になるのなら、やっぱり美少女になりたい。ポニーテールを揺らす活発な美少女。異性のことが気にならないわけじゃないけど、男の子の粗野なところが苦手。女子ってことでバカにするような態度を取る男子には、こう言ってやる。「金玉蹴っ飛ばしてやる!」。思わずそう叫んだら、それが夜22時半くらいの、隣の部屋で子どもがうとうとし始めているような時間だったので、「急におっきい声でなに言ってんの!」と怒られシュンとした。

2022年6月14日火曜日

レベル・露出・あの野郎

 せっせとプールに通っている。週に2ないし3回くらい。1000メートルを目安に泳いでいる。1000メートル泳いできたよ、とファルマンに言うと、「すごい!」となるのだけど、1000メートルというのはスイマーにとっては鼻で笑う距離のようでもある。まったく泳がない人と、マジで泳ぐ人の乖離は広い。僕はその狭間にいる。まあまあうまいこと泳げているな、などと思っていたら、隣のレーンに、お前は脚にモーターが付いてるだろ、みたいな人が現れ、意気消沈したりする。泳ぐのが速い人の、あの意味が分からない推進力ってなんなんだろう。あれって体の使い方とかじゃなくて、前月に5万円以上買い物した人は翌月プラチナ会員としてポイント利率アップ、みたいな感じで、同じことをしていても、なんかその人だけ水に優遇されているように思える。まあたぶん、同じことをしているんじゃないんだろう。前回のプールで、いつものように泳ぎながら、ふと、ここで腕をこうなんじゃね? と閃き、実践したら、泳ぎが少しスムーズになったように感じられた。テレレレッテテッレー、と福音が聴こえたような気がした。たぶん、地道なこれの繰り返しなんだろうな。

 今年の夏は小学校でプールの授業があるらしい。てっきりないだろうと思っていたため、慌てて水着の準備をしたりした。最近のスクール水着(女子の)は、なんとなく見知ってはいたが、下はスパッツ、上はタンクトップ、それどころかTシャツのような袖付きの型の、セパレート(といってももちろん間が空いて素肌を晒すわけではない)タイプが主流で、へえ、と思う。ちなみに僕はスクール水着については一切のフェチがなく、競泳水着にもなく、これに関しては猛烈にビキニ一辺倒なので、このスク水の変遷にはなんの感慨もなかった。そんな、自分の時代に較べ生地多めの、娘のスクール水着を買いながら、ファルマンが、「ブルマと一緒で、昔のスクール水着を見て、昔は女子生徒にこんなものを着せていた、って驚かれるようになるんだろうね」としみじみと言っていた。それを聞いて思ったこととして、大正や昭和の、水着なり体育着なりは、まるで囚人服のような長袖長ズボンだった、という写真を見たことがあるが、そこからだんだん生地が削られ、削られ、行き着いた先がブルマやわれわれの時代のスクール水着で、そして今そこからまた生地が徐々に増えてきているということは、われわれの時代というのは、この100年くらいのそのジャンルの、露出度グラフでいうところの、山のてっぺんだったようだ。ピークの、いちばん過剰だった時代。そんなスリリングな時代に、青春時代を送ったのだ。そんな気がしてたぜ。

 コロナがいよいよ落ち着いた感があり、とてもめでたい。でも今回のコロナ禍に関し、このまま風化させるわけにはいかない事柄がひとつあるので、ここに記しておく。
 ファルマンの上の妹の夫(32歳)のワクチン接種のことである。
 こいつが、新型コロナワクチンを、なかなか打たなかった。
 ひと月半ほど前に第2子が生まれた義妹一家は、すなわちこの9ヶ月間ほど、妊婦と小学生が家にいるという状況だった。さらに言えば夫は、兵庫県の自宅から大阪の中心部に電車通勤する身なのであった。本来であれば、島根県で一切公共の乗り物に乗らない人々なんかよりも、一目散にワクチンを接種するべき立場だろう。
 しかしなかなか打たなかった。あまりに打たないので、職場の方針とか、実家の方針とか、なにか外部の干渉があってのものかと思った。しかし話によればそんなことは一切ないのだった。彼は本当に純粋に、「副反応が怖い」という理由で逃げ続けたのだった。しゃれにならないので当時は書かなかったが、今から半年前の年末年始の帰省の際も、まだ未接種だった。兵庫県から、大阪に通勤する、ワクチン未接種の奴がやってくるというのは、島根では本当に周囲に知られたら大変なことになる事案である。いい加減にしてくれよ、と思った。
 思う一方で、そんなことを思う自分がなんとなく嫌だと思った。国からの「ワクチンを接種しましょう」を無知蒙昧に受け入れ、それを拒む人間を批判する様は、大東亜戦争的な、われら一億ワクチン総火の玉みたいな、もしかしたら自分はそちら側の、出兵バンザイ側の人間になってしまっているのではないか、ということを思った。これは別に思わなくていいことだった。彼が打っていればそれでよかったのだ。そもそも彼はそんな問題提起や体制への抗議のために恭順しないのではなかった。副反応が嫌で打たなかったのだ。なんと迷惑なのか。さらに言えば、副反応に怯える彼は、基本的にとても健康な人間である。屈強な体をしていて、体調を崩した話は聞いたことがなく、虫歯も一本もないらしい。しかしきっと、そうして体を壊したことがないから、コロナに対して絶大な自信を持っていて、むしろワクチンの副反応を恐れたのだろうと思う。
 そんな彼も、2月だったか3月だったか、とうとう打った。あまりに遅い。世間では3回目の接種が始まろうとしていた。ちなみに副反応はまるで出なかったらしい。
 これだけでも十分にとさかに来るエピソードなのだが、いまこうしてコロナ禍がじんわり終息しようとしていて、そして察することとして、彼はまず間違いなく、3回目のワクチン接種を受けない。本人的にも極力受けたくないのに加え、世間がすっかりそれを許容する風潮になっている。断言していい。あいつは絶対に受けない。
 ずるい。あまりにずるくないか。僕だって1回目2回目の副反応なんてほとんどなかった。でも3回目はつらかった。それをあいつは受けない。受けないで許される。俺がつらい思いをしたんだからお前もしろよ、と言いたいわけではない。いや、言いたい。言わせてもらったっていいじゃないか。だって、お利口に、案内が来てすぐに接種した人間が、損をしているじゃないか。さんざん逃げて、年末年始に実家の面々に不必要な葛藤を抱かせた人間が、あのつらい3回目接種を免れる。世の中間違ってる。
 コロナ禍の日々が遠い昔になっても、このことだけは胸に深く刻んで、今後の親戚付き合いをしていこうと心に誓っている。