子どもたちがYouTubeの、ほとんど静止画のような、キャラクターの絵が小刻みに動くだけの簡単なアニメに、やたら早口のセリフを乗せた、コント仕立ての映像をとても愉しんで観ていて、不憫だ。不憫とはどういうことかと言えば、子どもたちはそれが本当におもしろいと思っていて、父である僕にも観るよう薦めてくるのである。だが僕は断るのである。どう言って断るのかと言えば、こうである。
「俺はごっつええ感じを観て育った世代だからこんなものはとてもじゃないが観られない」
つまり、こんなものをおもしろいと思ってしまう、ごっつええ感じをやっていない時代のお前らが不憫だ、ということである。
言いながら、我ながらひどいな、と思う気持ちはもちろんある。僕はラジオ番組の常連リスナーによる内輪ウケの感じとかがものすごく嫌いなのだけど、これではあまり人のことは言えない。しかもハガキ職人でさえなく、観ていただけなのだから、なおさらタチが悪い。
そういう自戒の念はありつつ、それでもなお、あの類のアニメを観たくないと思う理由は、厳然としてそこに立脚していると思う。これは矜持だ。俺はごっつええ感じを通して、おもしろさというものを理解していった人間だという矜持。矜持と書いて老害と読む。
ようやくきちんと暖かくなってきて、春を実感できるようになった。
グダグダだった去年に対し、今年の灯油のフィニッシュはかなりうまいこといきそうである。なにしろコタツの存在が大きい。去年はコタツを出さなかったので、ストーブを点けるか点けないかという大味の寒さ対策しかできなかった。今年はコタツのおかげでゆるやかな調整をすることができ、結果として灯油の購入費も大いに削減できた。去年の記録というものはないのだけど、今年ははっきりしていて、12000円である。灯油缶、約6回分。これはたぶん、去年よりもだいぶ少ないはずである。
暖かくなってくるとなにがいいって、あまり服を着込まなくていいというのが嬉しい。常態としてあまり服を着込まないでいられると、そこからの脱ぎやすさ、裸になりやすさというのもよくなってくるわけで、いろんな意味で快適だ。冬の間じっと我慢していた部分が、スプリング状に飛び出るイメージ。春になってちんことか出しちゃう事案が多く発生するのも、むべなるかな、と思う。俺のむべなるかなが涎を垂らして悦ぶ春です。
手製のスイムウエアを本当に販売してみることにして、鋭意製作中である。
以前「パピロウせっ記」に、僕の作るスイムウエアは股間の部分にたっぷりのゆとりがあって、それは製作者こだわりの特長であると同時に、あまりそのことを主張し過ぎると公共の場での着用に支障が出てくるし、かと言ってその作りに関してまったく触れずに販売するとそれはそれで問題がありそうで、いったいどういう言い回しにすればいいか悩んでいる、ということを書いた。minneで痛感したのだけど、どうも僕は人にきちんとなにかを説明しようとすると言葉数が多くなりすぎるきらいがあり、このままではスイムウエア販売(ちなみにminneでは売らない)でも同じ失敗を繰り返してしまいそうだと思った。
そこでファルマンに相談したところ、「「圧迫感のないデザインです」くらいでいいんじゃない」という答えが返ってきて、「それだ」となった。つかず、離れず。それくらいでいいのだ。ジョニファーの着用画像に、それくらいの文言でいいのだ。それで伝わるのだ。
ああ助かった。股間部の盛り上がりに関する表現について見識のある妻と結婚してよかった。