2024年3月26日火曜日

ハンドメイド水着(メンズ)・酸欠神秘・7円

 3月はせっせと販売用の水着を作っていた。その果以あって、ぼちぼち数も上がってきたので、いよいよ発売のときは近そうだ。販売サイトは、検討した結果、たぶんYahoo!フリマにすると思う。見た中ではそこがいちばん、男性用水着の販売が活況そうだったから。
 でもたぶん簡単には売れないだろうと思う。「水着 メンズ」で検索を掛けると、speedoであったり、arenaであったり、mizunoであったり、水着ブランドの水着ばかりが出てきて、結局そうなんだよ、世の中の人たちは名のあるメーカーのものを偏重するんだよ、minneだってハンドメイドと言いつつ、結局セミプロみたいな感じだしさ、とクサクサしたのだった。しかしひとしきりクサクサしたあと、と言うか考えてみたらそもそも、ブランド偏重もなにも、「ハンドメイド水着」というジャンルが、この世にほぼ存在しないのだった、と思い至った。
 「ハンドメイド下着」というジャンルは、いちおうある。でもそのほとんどが女性用だ。僕がたどり着けていないだけかもしれないが、男性用ハンドメイド下着の販売ページというものは目にしたことがない。下着でさえそんな状況なのに、あろうことか水着である。狙いどころがあまりにもニッチ過ぎるのではないか、と我ながら思う。
 でも僕は実際にそれを着用して泳いでいるが、自分の理想を形にしただけあって、本当にいいのだ。販売ページであまり熱情を持って説明文を書くと引かれるので書かないつもりだけど、本当は声を大にして言いたい。これはすばらしいものであると。販売ページに書き込めない思いの丈は、たぶん「nw」にぶつけることになると思う。

 某女性シンガーソングライターと某元競泳選手が離婚して、明確な声明はなかったものの、どうもその元競泳選手というのが、とある新興宗教に傾倒したらしいという下世話な記事を目にし、その関連で紹介されていた、その初めて目にしたとある新興宗教の教義の香ばしさに、頭がくらくらした。
 その某元競泳選手は、先輩である超有名な元競泳選手の影響で入信したとのことで、それを聞いて思ったのは、やっぱり水泳選手というのは、酸素が足りない状態で死に物狂いで泳ぐので、臨死体験や神秘体験というものが身近にあるのかもしれない、ということだ。折しもパリオリンピックの競泳代表の選考会が連日NHKで放送されていて、少し観たりもしたのだが、1500m自由形なんかを観てると、これはもう競技というより修行の一種ではないかと感じた。なにより泳いでいる間、景色も変わらず暇で仕方ないだろう。酸欠で、体をオートメーションに動かしながら、頭の中では一体なにを考えているのか。それはやっぱりちょっと、容易に神秘的な方向に行っちゃうよな、と思った。

 大谷翔平が話題を振りまきまくっている。結婚、韓国、賭博。すごいじゃないか。うすうす感じていたけれど、どうやら大谷翔平というのは、やっぱりこの世界の主人公らしい。われわれユーザーを飽きさせないため、ジェットコースターのように息つく暇を与えない。
 約7億円が勝手に使われていたということで、それは本当か、本当に勝手になのか、というのが今回の件の焦点になるようだが、7億円というと途方もない額のように聞こえるけれど、大谷のドジャースとの契約金は約1000億なわけで、それは約分すれば、1000円持っている人にとっての7円という感覚の話になるわけで、きちんと理由を説明して7円を持っていかれても、あるいは勝手に7円を持っていかれても、大谷にとってはマジでどっちでもいいことだったんだろうと思う。そんなことより野球がしたい! 野球野球野球!
 球を投げて球を打って1000億円もらい、ぜんぜん豪遊せずにひたすら早寝早起きして野球だけする人がすぐ横にいたら、精神のバランスがおかしくなって、賭博に手を出してしまうのも、ちょっと仕方がないという気もする。
 そして大谷の話題のときには必ず言うことにしているが、僕が大谷翔平に勝っているのは、ちんこの大きさくらいのものだと改めて思った。新婚にこんなこと言って申し訳ないけれど。

2024年3月15日金曜日

ロケット・で・徴兵

 和歌山県から打ち上げられた民間ロケットが、発射後すぐに爆発していた。
 ロケットを作ったベンチャー企業の社長が、そのあとに開かれた記者会見において、頑なに失敗という言葉を使用しなかったのが、なんだかおもしろかった。たぶん今後のスポンサー誘致のことなどを勘案し、悪いイメージをつけまいとしての作戦だったのだろうが、その会見内容を伝えるニュースの前に映し出される、ロケットが爆発する映像というのが、本当に見事なまでにきれいな、清々しいほどの爆発具合なので、そのあまりのギャップが笑いを誘うのだった。見た目からして絶対にとんでもなく阿呆な子を、「やればできる子なんです」と言っているような、なんかそういうギャグめいた風景に見えたのだった。
 同じくロケット事業を行なうイーロン・マスクもコメントを発表したとのことで、どんなことを言ったかと思ったら、「Rockets are hard」だそうで、ここまで含めてやけにコントっぽい出来事だな、と感じた。マスクのコメントはどこかバカボンのパパっぽさがあり、赤塚不二夫の世界観に近い気がする。

 ちょっと前、まあよくある話なのだけど、なんかしらの事由で疲れている奥さん(投稿者)が、これから晩ごはんを作ろうというとき、献立をどうしたものかと夫に問いかけたら、「うどんでいいよ」という答えが返ってきて、あり得なかったので説諭した、というエピソードが投稿されて、やけに話題になっていたのだった。
 これは本当によくある。夏場に、そうめんでいいよ、と言ってしまったパターンなどのバリエーションもある。そして定期的に盛り上がる。女はこのパターンが本当に好きである。男の、家の仕事の大変さへの理解のなさ。大好物である。
 女のそういう部分の怒りを刺激していいことなど本当にひとつもないが、それでもこちらも性分なので、黙っていることができない。誰も読んでいないブログだし、述べる。
 晩ごはんをうどんで済ますのは、普通の晩ごはんを作るより、絶対に楽だろ。
 いまどき、完全に料理をしない男は少数派だ。だからこっちだって実体験をもとに判るのだ。うどんは楽だ。ごはんと、汁と、おかずが、ひとつで済むのだから。
 女は、「で」が悪い、と言う。「うどんがいい」「そうめんがいい」ならいいが、「うどんでいい」「そうめんでいい」は、手抜きだけど許してやるよ的な考えが漏れ出ていると考えるらしい。読解力が低い。あるいは被害者意識が強すぎる。話にならない。
 普通の献立を作り上げる労力が10だとしたら、うどんは5くらいで済む。こちらはその簡便さを実現するための方策として、「うどんってことでいいんじゃない(ナイスアイディアだろ)?」と言っているわけで、別に手抜きを糾弾する意図はないのだ。それなのに女はすぐに言葉尻を取って男を責める。責められた男は、本当は反省などしていない。なぜなら反省する部分などないからだ。悪はいない。いるとすればそれは女の心の中の仮想敵だ。責めることでお前の溜飲が下がるならば結構、と思いながら男は粛々とそれを受け止める。
 ま、そんなところが女のかわいさなんだけどさ。

 ミャンマーで徴兵制が開始されるというニュースを目にし、内容を読んだところ、男性は18歳~35歳が対象とのことで、衝撃を受けた。
 戦争教育の賜物か、僕は徴兵制というものにものすごい拒否感を持っていて、自分の人生で絶対にそんなことにはなりませんように、ということをずっと強く願い続けてきた。小中学校での体力テストも、あまりいい記録を出すと、いざというときの徴兵リストの上位のほうに名前が来てしまうと考え、力をセーブしていたほどである(俺が本気を出したらそのときはもう、ねえ)。
 そのため、このほど運用が開始された徴兵制の対象年齢が35歳までだったというのは、国が違うとは言え、かなり感慨深いものがあった。
 これはどうも、今生、僕は徴兵を免れたのではないだろうか。
 これから有事になったとて、もはや40歳の僕は、国家から戦力としてカウントされないということではないのか。ましてや中学校の体力テストの記録を見るに、とても機敏に動けそうもない。さらには内申点から察するに、規律に対する従順さも壊滅的だ。しかもamazonの定期購入リストにはサプリメントがずらずらと並んでいる。サプリメントを日々せっせと飲んで、やっと立てているようなものではないか。駄目だ駄目だ、こんな奴は。たとえ志願してきても絶対に入れてやらん。こっちから願い下げだ。
 そう考えるととても嬉しい。この世からありとあらゆる争いごとがなくなりますように。

2024年3月13日水曜日

矜持・むべ・見識

 子どもたちがYouTubeの、ほとんど静止画のような、キャラクターの絵が小刻みに動くだけの簡単なアニメに、やたら早口のセリフを乗せた、コント仕立ての映像をとても愉しんで観ていて、不憫だ。不憫とはどういうことかと言えば、子どもたちはそれが本当におもしろいと思っていて、父である僕にも観るよう薦めてくるのである。だが僕は断るのである。どう言って断るのかと言えば、こうである。
「俺はごっつええ感じを観て育った世代だからこんなものはとてもじゃないが観られない」
 つまり、こんなものをおもしろいと思ってしまう、ごっつええ感じをやっていない時代のお前らが不憫だ、ということである。
 言いながら、我ながらひどいな、と思う気持ちはもちろんある。僕はラジオ番組の常連リスナーによる内輪ウケの感じとかがものすごく嫌いなのだけど、これではあまり人のことは言えない。しかもハガキ職人でさえなく、観ていただけなのだから、なおさらタチが悪い。
 そういう自戒の念はありつつ、それでもなお、あの類のアニメを観たくないと思う理由は、厳然としてそこに立脚していると思う。これは矜持だ。俺はごっつええ感じを通して、おもしろさというものを理解していった人間だという矜持。矜持と書いて老害と読む。

 ようやくきちんと暖かくなってきて、春を実感できるようになった。
 グダグダだった去年に対し、今年の灯油のフィニッシュはかなりうまいこといきそうである。なにしろコタツの存在が大きい。去年はコタツを出さなかったので、ストーブを点けるか点けないかという大味の寒さ対策しかできなかった。今年はコタツのおかげでゆるやかな調整をすることができ、結果として灯油の購入費も大いに削減できた。去年の記録というものはないのだけど、今年ははっきりしていて、12000円である。灯油缶、約6回分。これはたぶん、去年よりもだいぶ少ないはずである。
 暖かくなってくるとなにがいいって、あまり服を着込まなくていいというのが嬉しい。常態としてあまり服を着込まないでいられると、そこからの脱ぎやすさ、裸になりやすさというのもよくなってくるわけで、いろんな意味で快適だ。冬の間じっと我慢していた部分が、スプリング状に飛び出るイメージ。春になってちんことか出しちゃう事案が多く発生するのも、むべなるかな、と思う。俺のむべなるかなが涎を垂らして悦ぶ春です。

 手製のスイムウエアを本当に販売してみることにして、鋭意製作中である。
 以前「パピロウせっ記」に、僕の作るスイムウエアは股間の部分にたっぷりのゆとりがあって、それは製作者こだわりの特長であると同時に、あまりそのことを主張し過ぎると公共の場での着用に支障が出てくるし、かと言ってその作りに関してまったく触れずに販売するとそれはそれで問題がありそうで、いったいどういう言い回しにすればいいか悩んでいる、ということを書いた。minneで痛感したのだけど、どうも僕は人にきちんとなにかを説明しようとすると言葉数が多くなりすぎるきらいがあり、このままではスイムウエア販売(ちなみにminneでは売らない)でも同じ失敗を繰り返してしまいそうだと思った。
 そこでファルマンに相談したところ、「「圧迫感のないデザインです」くらいでいいんじゃない」という答えが返ってきて、「それだ」となった。つかず、離れず。それくらいでいいのだ。ジョニファーの着用画像に、それくらいの文言でいいのだ。それで伝わるのだ。
 ああ助かった。股間部の盛り上がりに関する表現について見識のある妻と結婚してよかった。