蛙を200匹くらい殺してしまった。
労働で遅くなり、この時期にしては珍しく、会社を出たときにはすっかり暗くなっていた。会社のすぐ横には端から端まで数百メートルあるような広大な田んぼが広がっていて、その田んぼと田んぼの間に、慎ましやかに、田んぼの畔の事情なのだろう、やけにアップダウンのある道が拓かれ、そこが僕の通勤路なのだが(岡山の灘崎の風景もなかなかのものだったが、こちらも引けを取らない)、そこを走っていて、最初は、なにかやけに道に散らばってるものがあるな、植物かなにかかな、と思っていたのだが、ハイビームで照らされたそれが、たまにピョンピョンと跳ねたりするのを目にして、無数のそれが、すべて蛙であることを悟った。その道を通らないわけにはいかないので、悟らなければよかった。悟ってしまったばっかりに、ファルマンに帰宅を告げる電話を掛け、通話をしている最中だったのだが、「うひゃあ!」「いやあっ!」と絶叫を聞かせることとなり、ファルマンを動揺させた。これがほんとのカエルコールだね、というジョークは、いまこれを書いていて思いついた。
ハンドル操作で避けようにも、避けた先にも蛙はいるのだから、どうしようもなかった。結局その晩、僕はたぶん、200匹くらいの蛙を轢き殺したことだろう。つらい出来事だった。もちろん轢き殺された蛙のほうがつらかったに違いないけれど。
しかし翌朝、出勤で同じ道を走ると、生きた蛙はもちろんのこと、蛙の死骸もまるでない。まさか潰された蛙が、すべてタイヤの溝に詰まったわけではないだろう。これはいったいどうしたことかと思っていたら、道のすぐそばには何羽もの鷺がいて、6月にも書いたけれど、ああそういうことか、と思った。自然界はやけにシステマティックなところがあって、まるで、蛙500匹が鷺1羽とイコールです、と窓口で告げられたような、そんな気持ちになった。そして普段は丸呑みするのだろう蛙を、タイヤで潰した状態で食べることで、鷺の消化の負担が減り、普段なら新しい鷺を1羽発生させるのに必要な蛙が500匹であるところ、200匹で済んだ、などというのなら、昨晩の自分の抹殺走行も、少しは救われるな、などと思った。
「王家の紋章」を、最新69巻まで読み終えた。34巻まで読んだと書いたのが8月20日なので、1週間で35冊、1日7冊ペースで読んだことになる。怒濤である。まるで母なるナイルの氾濫のようではないか。
読み始めた頃は、この目まぐるしい展開が続くのだとしたら、いったい69巻ではどんなことが繰り広げられているのか、と途方もなく感じたけれど、いざ読んでみれば順当に、この漫画は35年だか40年をかけて、漫画世界の中ではたった数年ほどのことを、丁寧に丁寧に描いているのだった。絵柄もほとんど変わらないし、作者の理念のブレなさに、驚嘆を超えて、震撼する思いを抱いた。
この1週間、おかげで筋トレもプールも裁縫もほとんどままならず、日常が瓦解し、特異な期間となった。それはまるで主人公であるキャロル(当初は20世紀から古代に来た少女という設定だったが、途中から21世紀ということになっていた)の追体験のようでもあった。現代と古代、そして昭和から平成、さらには令和と、さまざまな時代が、目まぐるしく移り変わり、少し疲れた。前回の記事で、おもしろい長編漫画は一種の蝗害のようなもの、と書いたが、読み尽くし、作物が食い尽くされたことで、僕はようやく蝗害から解放され、平和な日常を取り戻せそうだ。ものすごくおもしろかったけど、反面その嬉しさもある。ちなみに最新刊の刊行はほんの2ヶ月ほど前なので、続刊は当分先だろう。そしてこの読み方をしてしまったら、70巻が発売されても、1巻だけの追加分なんてどうせなあ……、などと思ってしまいそうで、まあとにかくあまり健全な読み方ではなかったな、と思う。
今日で子どもたちの夏休みが終わる。まだまだ暑いので心配だが、暑さを理由に休業していたら、大学生並みの夏休みにしなければならないので、仕方ないだろう。
夏休みは、大きくどこかへ出掛けるということはなかったが、もうこれはどうしようもない。連日警戒アラートなのだから。レジャーは、秋や春に集中して行なえばい(ポルガの部活もあり、これまでのようにはままならそうだが)。
夏休み最終日の今日は、ピイガが「夏休みの間にいちどくらいホットケーキをしたかったな」などと、いじましいことを言ったので、滑り込みで行なった。ホイップクリームを立て、バニラアイスやチョコソースなども用意して、気を済まさせてやった。ピイガは1枚、ポルガは2枚、僕とファルマンは1枚を半分ずつという、まんま人間の生命力曲線グラフみたいな分量を食べた。1口目がとてもおいしかった。
とにかく一刻も早く涼しくなってほしいが、週間予報を見れば暗澹たる数字が並んでいて、まだまだ我慢の時は続きそうだ。地を這うような曲線グラフの人間は、せっせとビールを飲んで耐えるしかない。われわれは文字を持たない、聖書に記述だけが残されている、ビールばかりをよすがに生きていたという謎多き民族。愛い奴。