予告通り、髪の毛を染める。やはり脱色しただけだと、脱色しただけだな、という感じの金茶色でしかないので、早急に入れないわけにはいかなかった。色は店頭で大いに悩んだ挙句、緑色っぽいアッシュみたいな、なんかそんなものを選んだ。せっかく脱色をしたのだから、栗色みたいな無難なものにするのももったいないよな、ということを思ったのだった。だから緑色と最後まで迷ったのは、ピンク色だった。結果的に、緑がかった金髪というか、くすんだ黄緑というか、だいぶ表現しづらい色合いの、なかなか悪くない感じになった。もっともカラー剤というものは、これから数日間で刻々と色が変化するので、最終的にどう落ち着くのかは分からない。とりあえず、髪もだんだん伸びてきて、形が自分の中で徐々に受け入れるようになってきたこともあり、なんとか挫けずに済みそうだ。よかった。先週の散髪後は、本当に挫けそうだった。
鳥取県の平井知事が、今話題のChatGTPを、県の機関で使用することを禁止したという話の中で、映像で実際にそれを発しているところは見つけられないのだが、「ChatGTPに頼らず、ちゃんとじーみーちーにやっていくべき」みたいなことを言ったそうで、ChatGTPというものに関しては、当座のところ自分には無関係なのでなんの感情も持っていないのだが、ChatGTPそのものには思うところがなくても、ChatGTPで遊んで調子に乗ってる輩のことはもちろん忌々しく感じていたので、平井知事のこの、奴らの盛り上がりに冷や水を浴びせるような、腰が砕けそうになるダジャレは、とてもすばらしいと思った。そもそも「チャットジーティーピー」という、扱う人のことを考えていない、作った側の事情だろう一方的な名称が気に喰わなかった。いや、気に喰わずにいたのだ、ということをこのダジャレによって気づかされた。名称のイラっと感、そして持て囃す輩へのイラっと感が、「ちゃんとじーみーちー」というダジャレによって、見事に浄化された。尊い。もっとすさまじく褒められるべきなのに、そこまでこのフレーズが世間で取り沙汰されている感じがなくて、悔しい。年末までみんなで風化させずに守り続けようよ。
2011年に、12年後にまた記事を投稿すると宣言した「KUCHIBASHI DIARY」に、このたび記事を投稿することができたのだった。とても感慨深かった。12年は、香港割譲の99年にも通ずる、事実上の永久、みたいな感覚があった。12年したら12年後が来るのは分かっていたが、あまりにもイメージすることができなくて、来ない気もしていた。来てみれば、12年後の僕は、住んでいる場所や職業こそ変わったが、人間そのものは、当時から別段変わっていることもなくて、なるほどそれは、ブログのトップ画面に、10個の最新記事が並ぶ中で、ひとつ前の記事と最新の記事の更新日時には12年の隔たりがあるという、ただそれだけのことだな、という感じがある。記事は同じように並ぶ。年月が隔たるだけである。なんか、そういうことだな、と思った。ちょっと取り組んだことが珍しいので、あまりこの感覚は理解してもらえないかもしれない。みなさんもやってみたらいい。12年後ブログ。12年かかるけど。