「サウナを愛でたい」で四季荘をやるというので、観た。行ったことのあるサウナの紹介は、「俺ここ行ったことあるぜ」という意味でおもしろかったが、逆にいうと紹介される内容はすべて知っているため、観る意味がないともいえた。それにしてもBSとはいえ全国放送なわけで、やっぱり今後はますます盛況するに違いない。以前と違って今は平日の休みがないので、行けるとしたら週末になるが、週末の四季荘はただでさえ熱波師だのなんだのの内輪受けがひどそうなのに加え、さらに大混雑ということになってくると、いよいよ足は遠のく。こんなこといっても本当にしょうがないけど、僕はたぶん、去年オープンした四季荘のサウナエリアの、先着200番台くらいの客なんだぜ。最初に行ったときは貸し切りだったんだぜ。
あと今回の放送は四季荘のLINEで知らされたので観たわけだが、観た結果、実は山陰シリーズと銘打って、先週あたりに鳥取でオーシャンに行っていたようだということを知って(最後にヒャダインが振り返っていた)、ファルマンと、「むしろそっちが観たかったわー」と悔しがった。11月の鳥取旅行は、われわれの中でとてもしあわせな思い出になっている。
先日ファルマンにその膨大な量のデータを発見され、プチトラブルになった、ウェブ上のエロ画像を保存していく行為について、「見ていても、見たいものだけが並んでいるわけではないから、自分の性癖に合致するものだけを保存していくことによって、とても心地よいフォルダが出来上がるって寸法」と記述したが、あとになって、「精製」という言葉を思いついた。そうなのだ。それは「混合物を純物質にする工程、あるいはその技術」というwikipediaの説明がとてもしっくりくる。さらにいえば、「生成」でもあるし、「聖性」でもある。あるいは「清々」ともいえるし、なにより「精誠」だし「正々」だ。だからつまり、その行為は、「せいせいせいせいせいせいせいせいせいせい」なのだ。これからは、「なんでそんなことするの?」と訊ねられたら、「だって、せいせいせいせいせいせいせいせいせいせい!」と答えよう。もはや意味が分からないけど、そうやって煙に巻こう。
髪をとても伸ばしている。金髪にしているのとまったく同じ感情から、できる状況にあるのだから、長髪というものも気の済むまでやってみようじゃないかと思っている。現時点で、結ぼうと思えば結べるのだけど、いま結ぶと、ただの「結ぶのをしたいだけの男」でしかない長さなので、もうしばらく伸ばし、「必然性のある場面では結んだりもする男」になろうと思っている。
こうして髪を伸ばす試みは初めてではなく、しかしこれまではゴールに至らず頓挫してきた。どういう理由で頓挫するかといえば、それは大抵の場合はファルマンだ。ファルマンが、「見苦しいから切らせろ」「変だから切らせろ」と苦言を呈し、そのしつこさに僕が、「じゃあ目にかかる前髪を中心に、整えるだけだよ」と根負けし、ケープを纏って椅子に座ることとなり、そして鋏を持ったファルマンを前に、僕はまな板の鯉になるほかないので、結局「ちょっとだけ、先っぽだけ」と騙す悪い男のように、ずっぽり根元まで挿入され、いつしか後ろもばっさりいかれてる、ということになる。いつもそうして僕の夢は断たれてきた。
実際、髪を伸ばす最中には、数々の難関がある。難関とは、半端な変な状態のことである。襟足がマイルドヤンキーの息子のようになる時期、目にかかる前髪を払おうとして前髪がパッカリ分かれる時期、耳との干渉によって下に伸びるというより横に広がるような状態になる時期など、こういうときにファルマンは苦言を呈してくる。
そして先週の後半あたりが、まさにこの挙げた中の最後の状態、横に広がる時期のピークで、見かねたファルマンが、「絶対に週末に切るよ!」と宣言をしていた。普段ならばここで万事休す、あえなく断髪の憂き目に遭う状況だったのだが、今回は違った。土曜日にファルマンの歯の詰め物が取れるという出来事が起り、週末のファルマンはそのことにずっと囚われ通しで、僕の頭髪のことなどすっかり思考の埒外となったのだった。かくして難所であった週末を乗り切り、安心しながら観た日曜日の夜の「鎌倉殿の13人」で、源頼朝はまず助からないような場面でも奇蹟的に助かり、それは天の導きによるものだ、というような話をしていて、今回の僕の髪とファルマンの歯の詰め物のくだりも、まさにそれだな、と思った。天が、僕の髪を切らないよう差配しているとしか思えない。じゃあ僕も数々の難関をかいくぐり、いつの日か髪切らん幕府を開きたいな、と思います。いい髪型にしよう髪切らん幕府。おあとがよろしいようで。