2022年2月22日火曜日

サウナを愛でたい・セイでしょ・幕府

 「サウナを愛でたい」で四季荘をやるというので、観た。行ったことのあるサウナの紹介は、「俺ここ行ったことあるぜ」という意味でおもしろかったが、逆にいうと紹介される内容はすべて知っているため、観る意味がないともいえた。それにしてもBSとはいえ全国放送なわけで、やっぱり今後はますます盛況するに違いない。以前と違って今は平日の休みがないので、行けるとしたら週末になるが、週末の四季荘はただでさえ熱波師だのなんだのの内輪受けがひどそうなのに加え、さらに大混雑ということになってくると、いよいよ足は遠のく。こんなこといっても本当にしょうがないけど、僕はたぶん、去年オープンした四季荘のサウナエリアの、先着200番台くらいの客なんだぜ。最初に行ったときは貸し切りだったんだぜ。
 あと今回の放送は四季荘のLINEで知らされたので観たわけだが、観た結果、実は山陰シリーズと銘打って、先週あたりに鳥取でオーシャンに行っていたようだということを知って(最後にヒャダインが振り返っていた)、ファルマンと、「むしろそっちが観たかったわー」と悔しがった。11月の鳥取旅行は、われわれの中でとてもしあわせな思い出になっている。

 先日ファルマンにその膨大な量のデータを発見され、プチトラブルになった、ウェブ上のエロ画像を保存していく行為について、「見ていても、見たいものだけが並んでいるわけではないから、自分の性癖に合致するものだけを保存していくことによって、とても心地よいフォルダが出来上がるって寸法」と記述したが、あとになって、「精製」という言葉を思いついた。そうなのだ。それは「混合物を純物質にする工程、あるいはその技術」というwikipediaの説明がとてもしっくりくる。さらにいえば、「生成」でもあるし、「聖性」でもある。あるいは「清々」ともいえるし、なにより「精誠」だし「正々」だ。だからつまり、その行為は、「せいせいせいせいせいせいせいせいせいせい」なのだ。これからは、「なんでそんなことするの?」と訊ねられたら、「だって、せいせいせいせいせいせいせいせいせいせい!」と答えよう。もはや意味が分からないけど、そうやって煙に巻こう。

 髪をとても伸ばしている。金髪にしているのとまったく同じ感情から、できる状況にあるのだから、長髪というものも気の済むまでやってみようじゃないかと思っている。現時点で、結ぼうと思えば結べるのだけど、いま結ぶと、ただの「結ぶのをしたいだけの男」でしかない長さなので、もうしばらく伸ばし、「必然性のある場面では結んだりもする男」になろうと思っている。
 こうして髪を伸ばす試みは初めてではなく、しかしこれまではゴールに至らず頓挫してきた。どういう理由で頓挫するかといえば、それは大抵の場合はファルマンだ。ファルマンが、「見苦しいから切らせろ」「変だから切らせろ」と苦言を呈し、そのしつこさに僕が、「じゃあ目にかかる前髪を中心に、整えるだけだよ」と根負けし、ケープを纏って椅子に座ることとなり、そして鋏を持ったファルマンを前に、僕はまな板の鯉になるほかないので、結局「ちょっとだけ、先っぽだけ」と騙す悪い男のように、ずっぽり根元まで挿入され、いつしか後ろもばっさりいかれてる、ということになる。いつもそうして僕の夢は断たれてきた。
 実際、髪を伸ばす最中には、数々の難関がある。難関とは、半端な変な状態のことである。襟足がマイルドヤンキーの息子のようになる時期、目にかかる前髪を払おうとして前髪がパッカリ分かれる時期、耳との干渉によって下に伸びるというより横に広がるような状態になる時期など、こういうときにファルマンは苦言を呈してくる。
 そして先週の後半あたりが、まさにこの挙げた中の最後の状態、横に広がる時期のピークで、見かねたファルマンが、「絶対に週末に切るよ!」と宣言をしていた。普段ならばここで万事休す、あえなく断髪の憂き目に遭う状況だったのだが、今回は違った。土曜日にファルマンの歯の詰め物が取れるという出来事が起り、週末のファルマンはそのことにずっと囚われ通しで、僕の頭髪のことなどすっかり思考の埒外となったのだった。かくして難所であった週末を乗り切り、安心しながら観た日曜日の夜の「鎌倉殿の13人」で、源頼朝はまず助からないような場面でも奇蹟的に助かり、それは天の導きによるものだ、というような話をしていて、今回の僕の髪とファルマンの歯の詰め物のくだりも、まさにそれだな、と思った。天が、僕の髪を切らないよう差配しているとしか思えない。じゃあ僕も数々の難関をかいくぐり、いつの日か髪切らん幕府を開きたいな、と思います。いい髪型にしよう髪切らん幕府。おあとがよろしいようで。

2022年2月18日金曜日

蛮行・脱衣・性癖

 ダイソーで買った、200円でも300円でもない100円の、4色(黒、赤、緑、青)ボールペン&シャーペンが、やけに書き味も抜群で、嬉しいと同時に、若干のやるせない思いも抱く。大人なので、あまりにも安く、あまりにも機能的に十全なものに接すると、経済であるとか、労働であるとか、そんな部分に思いを馳せてしまうのだ。などと言いつつ、あまりにもコスパがいいので、自宅用や職場用など、何本か買い足して使っている。
 そのペンに関して、元から入っていたシャーペンの芯がなくなったので、補充しようと思い、てっぺんにあるキャップとミニ消しゴムを外したところ、穴がないのでびっくりした。これまでこういう多色ペン&シャーペンみたいなものを持ったことがないので、この手のペンはこういうものなのか、それともここに100円商品の限界があるのか、判然としない。とにかく穴がないと芯の補充のしようがないではないか。どうすればいいのか。リビングでそう嘆いていたら、ファルマンが、「ペンの先っぽから入れればいいじゃん」と言う。「って言うか私はいっつもそうやって補充してるよ」と。その内容に驚いていたら、横にいたポルガまでが、「自分もそうしてる」と言い出したので、多大なショックを受けた。シャーペンのペン先から芯を入れるなんて発想、まるでなかった。芯は後ろから入れて前から出すものと、自分の中で明確に定まっていた。そういう流れというか、矢印というか、それが僕の中にはあった。だから出口から芯を入れるなんて、蛮行ではないかと感じた。この他に聞き取り調査をできる人がいないので、果してどちらの発想がどれだけ一般的なのか、よく分からない。たまたまふたりが、世界めんどくさがりチャンピオンと、世界めんどくさがりジュニアチャンピオンである可能性もある。あとそう思うと同時に、入口と出口、穴と棒の話なので、男と女のそれぞれの観念も無意識に作用しているのだろうか、とも思った。僕はちゃんと正道に差し入れたい。でも穴がないのならしょうがない。ペン先から挿入した。ちょっと背徳的な気持ちになった。

 「パンツを脱いで寝る即効療法」という、タイトルの通りの内容の本に出会い、非常に興味深く読んだ。医師が語る科学的な論拠パートもよかったが、ページの大部を占める、「実践者による成功体験報告」がとにかくおもしろかった。それによると、パンツを脱いで寝ると、肌荒れ、腰痛、肩こり、神経痛、ぜんそく、鬱、水虫など、ありとあらゆる体の不調が改善されるようだった。
 今が冬でなければ僕もすぐにやるんだけどなあ、ということを前に書いたが、この療法が最初に流行ったのはなんと北海道で、実は裸で寝ることと寒さはぜんぜん関係ない、むしろパジャマで余計な空気の層を作るよりも裸で直接布団にくるまれたほうが暖かいのだ、みたいな記述もあり、そこまでいうなら、ということでやってみた。というより、やってみている。隣の布団のファルマンにものすごく嫌な顔をされながらも、半裸だったり全裸だったりで寝ている。その結果、どうなったかというと、そもそも僕はさしあたっての体の不調というものがないので、劇的な効果は得られようもないのだが、まあ本当に単純な感想として、なんか気持ちがいい。眠りの質とか、寝起きとか、そういうことじゃない。ちんこが出ていることで高揚感が発生し、ひと晩中、微弱な性感を得続けながら過せているような気がする。この本は、常にゴムで締め付けられていることは害悪である、という論旨なのだが、ゴムから解放された結果、常に微弱な性感が下半身を覆うようになったわけで、こんな締め付けなら大歓迎ですね。「寝るときなにを身に着けていますか?」と訊ねられたら、僕はこう答えよう。「性感だ」と。今後も続けようと思う。

 子どもの画像の整理をしていたファルマンが、僕のパソコンに繋いだハードディスク内のそれを取り込もうとした際、「ゆめ」と名付けられた、やけに容量の大きなフォルダを見つけ、子どもの映像だろうかと思い、確認しようと開いたところ、膨大な数のエロ画像のサムネイルが表示されて、それはもう、それはもうとても、ショックを受けたという。これはとても不幸な事件であった。誰も悪い人はいない。見てしまったファルマンは不幸だし、見られてしまった僕も不幸だ。もういちど言おう。誰も悪い人はいない。
 夫にそんな習慣があったことを知らなかったファルマンは、「なぜ?」と困惑したそうだ。そういうものを、見ていることは知っている。でもなぜ、なぜ保存するの? と。帰宅後、実際にその疑問を投げつけられたが、なぜ、と問われても困る。見て、見るだけより、保存するほうが、自然だろう、としか答えられない。強いて言うなら、見ていても、見たいものだけが並んでいるわけではないから、自分の性癖に合致するものだけを保存していくことによって、とても心地よいフォルダが出来上がるって寸法である、というくらいの理由か。それが積み重なって、1枚1枚はそれほど容量の大きくない画像が、映像もかくや、というくらいの容量になった。その結果、悲劇が起きた。みたび言おう。誰も悪くない。
 気持ちが悪い、とファルマンは言った。ああいう画像そのもの、ああいう世界そのものが受け入れられないし、なによりその画像が、子どもたちの写真と同じハードディスクに入っていることが耐えられない、と。それは見解の相違だな、と思った。そのふたつが同じフォルダに入っていたら、それはもちろん異常だと思うけど、フォルダは分かれていたのだ。フォルダってそういうもんだろう。分かれているんだから、なんの問題もないだろう。
 そんな僕の主張は通らず、早晩USBメモリを購入し、そこへいくらでも保存すればいい、ということになった。しかしハードディスクも、USBメモリも、同じく僕のパソコンに繋がれるのである。じゃあそれとフォルダ分けのなにが違うの、と思うが、それでファルマンの気が済むのなら黙って従おうと思う。最後にもういちど言っておく。誰も悪くない。

2022年2月8日火曜日

THIS IS US・カムカムエブリバディ・鎌倉殿の13人

 「THIS IS US」のシーズン5がプライムビデオに出たので、さっそく観ている。おもしろい。本当にリアルタイムの世の中の設定でドラマが作られているため、今シーズンはきちんとコロナ禍での話になっている。感染対策で撮影が大変なのはもちろんのこと、このドラマの場合、ちょいちょい未来の風景も描いているため、コロナのことなんて頭になかった時代(数年前)に描いた未来と、コロナを経た未来の、辻褄を合わせなければならず、そういう意味でも大変そうだと思う。それでリアルタイムということを意識したせいか、改めて主人公たち3人と自分がほぼほぼ同世代であることを実感し、過去の思春期の時代であるとか、大学生の時代であるとか、主人公たちがそれぞれいろんなことをしていた時代、遠く離れた日本で、僕は男子校に通ってお好み焼き屋でバイトしてたなあ、とか、モーニング娘。とか聴いてたなあ、なんてことを思ったりした。本当にドンピシャで同世代だから、そういう意味でも愉しい。まだシーズン序盤で、いっぱい話が残っているので嬉しい。

 「カムカムエブリバディ」も引き続き観ているが、こちらはもう3世代ヒロインのアンカーになって、放送もあと2ヶ月ほどと、ひなた編はまだ始まったばかりとはいえ、終わりが見えはじめてしまって、なんとなくもの哀しい気持ちがある。近ごろはこれを「ロス」と、なにかが終わるたび、登場人物の誰かが死ぬたび、条件反射のようにみんな言う。本当にただの「反応」でしかない感じで、馬鹿みたいだな、とも思うが、まあたかがドラマなのだから、そのくらい簡単な受け止め方でいいのだ、ドラマの感想に美辞麗句を並べようとするほうがよほど馬鹿みたいだろ、という気もする。併せて、「ナレ死」という言葉もあり、このドラマの感想でもさんざん、ナレ死だナレ死だ、と言い募る向きがあるけれど、ナレ死という言葉が生まれる前のドラマって、そんなにちゃんと登場人物の死を、死の瞬間を、映像として表現していただろうか。ましてや戦国ものでもない、朝の連続テレビ小説である。合戦をして胸に矢が刺さるわけでもないのだ。そんな物語世界での、ナレ死じゃない死って、きちんと描いたら朝からとても陰鬱な気持ちになるだろ、と思う。でもまあ、それでいいのだ。ナレーションで誰かの死が告げられたら「ナレ死だ!」とつぶやき、そして「ロスだ!」とつぶやけばいいのだと思う。朝ドラってどうやらそれでいいのだ。

 「鎌倉殿の13人」ももちろん観ていて、というか今期は朝の連続テレビ小説と大河ドラマしか、ドラマを観ていない。なんと保守的なのか、とも思うが、順当な帰結だろう、とも思う。ところで鎌倉に行きたいという気持ちは、数年前から募らせていて、しかし帰省するときは夏にしろ正月にしろ人が多い時期だし、数年前まではインバウンドとかいって、本当に人が多そうだった。いまは外国人は少ないのだろうが、外国人が少ない理由とまったく同じ理由から、帰省そのものがままならない。そして夏ごろ、(ともすれば)ようやく帰省ができたとしても、その頃はこのドラマの影響で、やはり鎌倉は大混雑であろう。あざみ野から鎌倉までは、電車で1時間ほどで着くようだが、近くて遠い。果たして行けるのはいつのことになるのか。

2022年2月3日木曜日

センター試験・池江・配布

 今年もセンター試験が行なわれていた。本当はもうセンター試験ではなく別の名称になっているらしいが、たぶん僕は一生、センター試験と言うのだろうと思う。そのセンター試験で印象的だったのは、問題流出事件ではなく、どこかのサイトで目にした、「センター試験の日は女子高生に痴漢行為をしても、向こうは事を荒立てて試験に遅れるわけにはいかないから、したい放題だぜ」という文言だ。これには、なんと下劣なのか、と憤ると同時に、まあしかしなんという知恵だろうな、とも思った。こういうことに関する知恵というのは、それ以外のことに取り組んでいるときに較べ、ざっと数百倍くらい、まさにスカボン級に増幅するものだとしみじみと思う。しかしどうしたって下劣だ。ずっとこの日のために勉強をがんばってきたじょっこからすれば、たまったものではない。かくなる上は試験日当日は、受験生のLJKのために、FJKやMJKがあえて制服姿で電車に乗り、痴漢してきた男を駅員に突き出すという運動をしてはどうか、そんな呼びかけをなんかしらのハッシュタグで行ない、実現したら感動的だろうな、なんてことを思った。38歳男性が発起人になってもいいだろうか。発起人が勃起人になる結末が待ち受けているかもしれませんね。駅員さん、こっちです!

 池江璃花子が、なんかの大会の50メートル自由形の予選を、クロールではなくバタフライで泳ぎ、そして2位で通過したという。かっこいい。ちなみに決勝では、さすがにクロールで泳ぎ、そして優勝したという。なんかもう、すごい。2019年、白血病になっていたというのに、地力がとにかくスカボンなのだろう。なにを隠そう池江は僕の大学の後輩なのだけど、ずいぶん差をつけられちまったな、と思う。池江の先輩の僕は、12月31日におろち湯ったり館で泳いだきり、1月はとうとういちども泳がなかったし、行きつけのプールが改修工事に入ってしまい、春まで閉まるので、たぶん2月も3月も泳がない。後輩との差は開くばかりだ。あと日大は、ここ数年の不祥事によって、国からの補助金がとうとう完全にもらえなくなってしまったらしいが、「学費の値上げは一切しない」そうだ。当たり前だボケ。

 上のふたつの話題において、説明をする前に普通に使用してみせたのだが、「スカボン」という表現を考えた。度合がすごい、能力がすさまじい、とにかく激しい、そんな意味。「スカウターがボンッってなるレベル」だからスカボン。フリー素材なので、誰でも自由に使ってください。