新型コロナ騒動は、クルーズ船騒動、三密騒動、東京オリンピック騒動、ワクチン騒動などなど、いろいろな騒動に分けることができるけれど、マスク騒動もまた、新型コロナ騒動を形成する大きな一要素であったと思う。あのタイミングでの、政府による布マスク配布は、野党の人は「世紀の愚策」といっていたが、振り返ってみて、果してどうだったんだろうな、と思う。物理的なウイルス予防としては、そもそもあれを着けている人がほとんどいなかったし、効果は皆無だったに違いないけれど、しかしこんなことをいうとちょっとおかしな空気が漂う気もするが、気持ち的に、ほっこりできてよかったんじゃないかと僕は思う。まるでB-29に竹槍で立ち向かうみたいな、切なさというか、必死なんだけど間が抜けていて哀愁のある笑いというか、そういうものが、アベノマスクにはあった。つらいこと、哀しいことがあったとき、欧米の人々のように怒り、立ち向かうのではなく、逆に力なく笑ってしまう、そんな国民性の体現だったともいえる。だから、わが家に届いたそれは、一部で推奨されていたように、未開封のまま非常用バッグに突っ込んであるが(果たして非常時にさえ着けるのか?という気もする)、なんかまあ、半世紀後とかに、電線に伝わせて物を運ぼうとした明治時代の人々のように、朗らかに笑うために、各家庭で取っておけばいいんだと思う。
先日子どもが裁縫をするというので世話をしたのだが、その際に往年の家庭用ミシンを出して、使わせようとしたのだが、これまでもその兆候はあったが、いよいよピーピー、スイッチを入れてもエラーを訴えるばかりで、どうにも動かなくなってしまった。たぶんもうこれを買ったのは15年近く前のことなので(池袋のさくらやで買った気がする。さくらや!)、コンピュータミシンとしてはかなり長く使ったものだと思う。もう引退しても仕方ない。
それで、僕としては当然、工業用ミシンがあるものだから、これが使えなくなってしまってもそこまで困らない(ボタンホールも直線縫いで何重にも四角を縫えばいいや、と以前に発見した)のだが、子どもがせっかく裁縫に興味を持ちつつあるのにミシンがないというのはもったいない気がするのだった。子どもに1台与えて、自由に使わせ、いろいろ縫えるようになったらいいよなあ、などと夢想する。そう思ったようには運ばないけどな、子育てはどうせ。
3ヶ月間での肉体改造を決意し、ビフォー写真を先日撮影したが、それで客観的に目にした自分の体型にショックを受け、それからどうなったか、なにくそと奮起したかと思いきや、ショックで、へこんで、しょげて、あれ以来すっかり筋トレから遠ざかっているのだった。バカ! パピロウのバカ! パピロウの根性なし! なんだと! だってしょうがないじゃないか! なんでしょうがないのよ! だって、だって寒いし! バカ! 本当にバカ! 本当に根性なし! うっせえ! わかったよ、やるよ! やってやんよ! 来年から! 来年になったら本気出すよ!