2021年9月12日日曜日

小銭入れ・尿道・ワクチン

 小銭入れを持たない人生だった。
 僕の人生はまだまだ続くが(まだ始まってもいないともいえるレベル)、まず間違いなく小銭入れを持つようになることはないだろう。電子マネーとかが発展して、そもそも小銭の出番が減っていて、まあ僕は電子マネー、目下のところてんで活用できていないのだけど、それであっても小銭入れを持つような状況というのはイメージしづらい。たぶん自動販売機で、缶コーヒーだの、煙草だの、そういうものを買う人にとっては便利なんだろうと思う。
 あとやっぱり基本的に、荷物をあまり持ち歩きたくない美学の男が、小銭入れというアイテムに帰着するのだと思う。その観念が僕にはまるでない。むしろその真逆の観念で生きている。
 しかし荷物をあまり持ち歩きたくないという美学の真逆であればこそ、こんな思いが湧く。
 小銭入れというアイテムそのものへの憧れ。
 小銭入れって結局、極小のポーチのようなものであるから、こじんまりとしていてとても愛しいのだ。そのため物欲としてそそられる。しかし小銭入れを小銭入れとして活用できる気質は、上記の通り僕にはまるでない。
 結果として柄が気に入るなどして衝動的に購った小銭入れは、ちまちました手芸用品を入れておくための入れ物なんかになる。しかし実際は、ちまちました手芸用品は、引き出しのクリアケースに入れておいたほうが絶対に使いやすい。
 今生の僕と小銭入れの縁は薄い。

 これは「BUNS SEIN!」に書く話のような気もするのだけど、そう長くなる気もしないので、こちらにさらっと記しておく。
 使っているボディーソープが、ノズルの開口部分でとてもよく固まる。「カタマラナイヨウニナルヤーツ」的な添加物を入れろよ、と思うが、それだけ実直な作りなのかもしれないな、とも思う。
 開口部分で液剤が固まっていると、ヘッドを押して中身を出す際、穴が変なふうに塞がっているために、思いもよらない方向に勢いよく液剤が噴射するので困る。これが本当に、意思があるのではないかと思うほどに、こちらがボディスポンジで受け止めようとしていない方向にばかり、液剤が飛んでいく。長年その状態が続いているので、こちらも学習して、ゼロ距離くらいの位置までスポンジを近付けてヘッドを押すのだけど、それでも液剤はスポンジをかいくぐる。前方に突き出たノズルの開口部から、そんな斜め後ろみたいな方向に液剤が飛ぶことあるかよ、というような現象が起る。奇想天外である。
 という、この話を前置きにして、ある日ふと思ったのだけど、要するに穴が小さいと、液剤の噴き出る勢いは増すわけで、これってまあ、ソープという、白濁粘液からの連想もあるに違いないが、ちんこだって当然この理論は同じわけで、射精も小便も、年を取ると若かった頃のような勢いがなくなるというけれど、それってつまり、尿道とかが使い込んだことでこなれて、体内的には昔と同じ量の同じ勢いの液体が、余裕を持って発射できるようになったという、つまりそういうことなんじゃないだろうか。勢いがなくなったことを減退と捉えるから哀しくなってしまうわけで、尿道のこなれ感と捉えると、途端に円熟味が出てくる。精液や小便の出方のおだやかさこそが、大人の余裕。

 やけにブログを書かない日々が訪れていたが、この日々の中で、新型コロナワクチンを夫婦ともども接種していた。ファルマンは1、2回目ともまあまあの副反応が出て、接種の翌日は寝て過ごし、それに対して僕は1、2回目とも、打った腕の筋肉痛めいた疼痛以外は、ほとんど副反応らしいものはなかった。つまりなんとなく事前から予想していた通りの結果だった。
 僕はファルマンからしばしば、正常性バイアスの高まりを糾弾されるのだけど、それぞれの人の世界の見え方、捉え方なんて、その人のそれまでの人生経験のことを思えば、矯正することなんて不可能だろうと、今回の副反応の結果で、改めて思った。ファルマンは副反応が起るだろうと思って、果して起った。僕は副反応はあまり起らないだろうと思って、果してあまり起らなかった。どうしたって、その確率から、経験則が生まれ、人格は形成される。
 病は気から、なんて慣用句は、時代に合わなくなったのか、昨今あまり使われなくなったような気がするが、正常性バイアス勢から見れば、不安がり勢に対して、思わずいいたくなることもある(でも今どきの時代性を踏まえ、いわない)。
 そして正常性バイアス勢には、致命的なウィークポイントがあって、不安がり勢には絶対に勝てないようになっている。それは、人はいつか必ず死ぬ、ということである。人はいつか必ず死ぬので、正常性バイアス勢の正常性バイアスは、事故なり病気なり、いつか必ず裏切られる。それに対して、不安がり勢が、不安がっていたものから裏切られることはない。その不安はいつか必ずやってくるからだ。
 結局なにがいいたいのか、自分でもよく分からない。どうせ感染しないよ、といってフェスに行くわけではない。もっとも心のどこかでは、感染しない気でいるし、感染しても症状は軽く済むだろうと楽観視している部分がある。その一方で、ワクチン接種の機会が与えられれば迷いなく受ける。そしてその副反応は軽いだろうと思う。小市民だな、と思う。