2020年2月13日木曜日

映画ハリポタ・よきも・Google

 映画版「ハリーポッター」を、先日最後まで観終えた。観終えた、のだと思う。微妙にあやふやなのは、話の展開がとにかく駆け足だったことと、あと「謎のプリンス」あたりからあまりにも画面が暗かったため、映像を観ているわけではないような気になったからだ。本当に暗かった。もとい、黒かった。黒い画面の中に、少しだけ灰色の部分があって、それが移動することでどうやら人か物が動いているようだと類推する、というような、そんな有様だった。それくらい暗い画面なのだった。ヴォルデモードの復活によって魔法界に暗雲が立ち込め、誰もが絶望感でいっぱいだ、というのは解る。でもその絶望感を、画面の暗さで表すのはどうなのか。小説でいうならこれは、怪談などでおなじみの、なんという名前のフォントかは知らないが、血で書かれたみたいなあれ、あれをしかも赤で記したようなもので、そんな用立てをしたらなんだって怖くなる。たとえば二次元ドリーム文庫だってホラー小説みたいになるだろう。話のイメージでフォントを変えること自体は卑怯でもなんでもないが、やり過ぎると反感が生まれる。「内容で勝負しろよ!」とツッコみたくなる。映画版「ハリーポッター」の暗さはまさにそれだった。暗すぎて、曇りの日の夜空の環境映像でも観ているような気分だった。あと白人の少年(青年)たちがみんなあまりにゴツくなってて引いた。

 カッティングマシンを購入してから、オリジナルTシャツ作りをしている。このブログのちょっと前の記事で、クラTについて書いたが、それももちろんこのあと始まるオリジナルTシャツ製作のことを念頭に書いたものなのだった。
 当該の記事では、実際に製作されたクラTを部外者にも販売してくれないだろうか、という話をしたが、いまの僕ならば、購入せずとも作れる。なにをか。クラTをだ。僕はいま何年何組でもないし、学校祭を控えているわけでもないが、しかしクラTを作る設備はある。あってしまうのだ。だから本気で作ろうかとちょっと考えている。デザインの中に30人あまりのクラスメイトのファーストネームを列挙し、その中に自分の本名もこっそり混ぜるのだ。本当は自分の名前以外は全員女子がいいのだが、それをやると一気にリアリティがなくなるので、男女比は半々にする。ところでお前、36歳なんだから生徒じゃなくて担任ポジションだろう、という意見もあるだろう。クラTを作ったことがないので詳しくは知らないが、たしかにクラTには担任の名前も入っていたりする。鈴木先生の場合、「鈴木組」なんて記されたりするんだよね、よく知らないけど。まあそれも悪くない。それなら生徒の名前は全員女子でもよくなってくるし(夢が膨らむ)。
 そしてそれを実際に作り、実際に着て街に出たとき、ぜんぜん見たことがない知らない若者が、「えー、めっちゃ懐かしい!」「ちょっとなんでクラT普通に着てんの?」などと次々に話しかけてきたら、世にも奇妙な物語みたいだな、と思う(血で書かれたみたいなフォント)。

 Googleで検索して情報を得ることが、同時にgoogleに情報を与えることでもあり、Googleに携わった人生の1コマ1コマが、僕の人生の一部であると同時に、Googleにも保存されて、つまりGoogleにはほんの少しだけ僕が含まれているといえ、それはGoogleを使ったことのあるすべての人類に共通していえることで、これってなにかに似ている、となって記憶をたどれば、それは「火の鳥」の未来編で30億年生きた後、火の鳥の一部になった山之辺の姿なのだった。火の鳥の中には、タマミをはじめとするすべての生命がいて、そのすべてが、ひとつなのだった。これととてもよく似ている。だとすればGoogleとは、宇宙生命(コスモゾーン)なのかもしれない。僕が死んでも、僕はGoogleの中に生き続けるのかもしれない。