炎のゴブレットの下巻を読み終えた。おととい。なので5日で読んだことになる。ペースがだんだん上がってきているな。横に読了者がいるので、こういうことをいうと、「わかるわかる、そこらへんからグイグイいっちゃうよねー」みたいな感じになるのが嫌だ。
僕は刊行当時に途中まで読んで、脱落した手合いであり、どこまで読んだのかが定かではなかったが、たぶんアズカバンまでは読んでいて、ここから読んでなかったんだと思う。アズカバンだって大概その内容を忘れていたけど、この巻からはいよいよいちど読んだ感触がなかった。全7巻の、しかも4巻目からは上下巻になるシリーズで、3巻目までを読んだだけで、これまでよく「読んだ感」を抱いていたものだと思う。それは実質的にぜんぜん読んでいない。だって復活してないじゃないか。この巻でいよいよ復活してしまったので、この物語はここから本格的に始まるのだと思う。俺は始まる前に読むのをやめていたのだな、と10年以上の時を経て知った。
先日ニトリでダイニングテーブル用のベンチを物色した、ということを書いたが、あのあとすぐ、それがなくてはならないもののように(それさえあれば子どもたちはとても行儀よく食事を取ってくれるに違いないと)夫婦そろって思うようになり、ネットでテーブル幅に合ったものを探し、2脚購入したのだった。それでわが家はふたたび、居間の座卓からダイニングのテーブルで食事をする家庭になった。子どもの行儀は、座卓よりかは多少改善された、のでは、ない、かな、と思う。座卓時代がマジでクソだったから、それに較べれば、という話ではあるけれど。
それでわが家にベンチがやってきて、そして僕はいま肉体改造に取り組んでいて、ジムとか通っちゃってるわけで、じゃあもうそんなのあれだよね、ダンベル買うしかないじゃんね、ということで、誕生日プレゼントのフラゲとして、当世話題のダンベルを買った。ダンベル何キロ持てる? という問いに答えるとするならば、こんなんじゃあきっとすぐに追加のプレートを買うはめになるだろうと思った左右それぞれ10キロのダンベルが、重すぎたのでまずは3キロ減らして7キロ。7キロでベンチプレスしている。とてもいい。しながら思う。これもうジム行く必要ねえわ。
分娩の際に生死の境をさまよい、それでもなんとか持ちこたえて産声をあげた女の赤ん坊に対して、親が「生きてくれているだけでいい、息をしてくれているだけでいい」という思いを込めて、息をする子、息子と名付けたとしたら、その子が将来結婚して、男の子を産んだ場合、息子の息子となるわけで、ちょっとおもしろいのではないかと思った。あるいは夫が妻を紹介する際に、「妻の息子です」と述べるのもおもしろい(これは叙述トリックに使えるかもしれない)。さらに言えば、ちんこのことを息子と呼ぶ習慣が一部にあるので、夜の生活においては「い、息子がっ……! む、息子をっ……!」という局面も出てくると思う。