2019年5月31日金曜日

腕時計紛失・ピエロ・酒

 腕時計をなくす。ちょいちょい物をなくすことだ。
 これまで着けていた腕時計は、スラップウォッチという、シリコン製のバンドに、懐中時計のようなものを嵌め込んで使うもので、これがまるごとどこかへ行ってしまったわけではなくて、ある日職場に着いて時間を確認しようと思って見たら、くぼみに嵌まっているはずの時計部分だけがなかった。なにかのはずみでそこだけ外れて落ちたらしい。すぐに駐車場まで、地面をつぶさに眺めながら戻り、車内も確認したのだが、見つからない。じゃあ家かな、と思うが家にもない。プールやスーパーでも訊ねたが届いていない。どうもこのまま出てこなさそうな雰囲気だ。
 左手の腕時計がなくなると、本田圭佑よろしく、なんとなく左右でバランスを取るために着けていた、右手のただのシリコンバンド(世界のさまざまな問題について意識が高くてほっとけないので、何色も持っていて日によって着ける色を変えていた)も自ずと外す流れになった。
 そうして両手ともになんにも巻かずに外の世界に飛び出し、労働なんかしてみると、ちょうど季節もあるのか、これが意外なほど身軽で快適で、あれ?となった。早いうちに新しい腕時計を調達しなければと思っていたけれど、ちょっと待って、腕時計……いる?という疑問が湧いてしまった。
 いやいるだろう、大人としているだろう、ケータイとかで時間を確認するのは大人として様にならないだろう、という矜持がある一方で、でもお前のこれまでの時計、別に大人が着けるにふさわしいものじゃなかったじゃん、というもっともな反論も去来する。
 腕時計、着けていてもぜんぜん見ないとかではなかったので、ないことに微妙な不便さはある。でも微かだな、という気もする。これから夏で、汗ばんだり、日焼けしたりの問題もあるので、そんなことを思うと、あんまりネットショッピングの触手が動かない。どうしようもない不便さが発生しない限り、あえて買わんでもいいかな、と思いはじめた。

 先日公園に遊びに行った際にバトンを回していて、しかしただ突っ立ってバトンを回し続けても発展性がなく、去年はこの問題を解決するためにダンスや太極剣の本を読んだりして、残念ながらそれらはあまり僕のバトンライフの質の向上には寄与しなかったが、それでもステップを踏むことの必要性というのは切実に感じているため、その公園でのバトン回しの際も、回しながらちょっと跳ねたり動いたりなんかしていたのである。
 するとそれを目にしたファルマンが、指をさして嗤ったのだった。
「なにそのうごき(嗤)」
 芽を摘むとはこういうことか、という見事なまでの摘みっぷり。さすがこういうところは長女だ。言われた瞬間、それまで躍動していたバトンはさながら心電図のように静止し、僕はそっとバトン入れの中にバトンをしまった。哀しかった。
 これは先日の話で、なぜ今ごろその話をしたかと言えば、昨晩またファルマンが、そのときの僕の動きのことを揶揄してきたからである。こう言われた。
「おどけきれないピエロみたいだった(嗤)」
 へこむとはこういうことか、というくらい、見事にへこんだ。おどけきれないピエロ。僕のあまりのへこみっぷりに、ファルマンは慌ててフォローしはじめたが、完全に手遅れだった。ファルマンは「バトンを回してるときのステップがだよ、それだけだよ」と言うのだが、でも僕自身に感じ入る部分が大いにあり、おどけきれないピエロ、それは僕の心性そのものだな、たしかに僕はおどけきれないピエロだな、とうじうじした。

 5月が終わる。やけに長かった。あの帰省が今月のことだとは信じられない。
 相変わらず酒はほとんど飲んでいない。飲みたい気持ちもそう湧かない。暑くなってもぜんぜんビールを欲したりしない。見限ったものへの僕のあまりの淡白さに、ファルマンからは人としての情を疑われるほどだ。でも先日、スーパーでカップの天ぷらそばを見かけて、ああこれと日本酒をやったらしあわせだろうなあ、と少し誘惑に駆られた。こうしていちど断ってみて、フラットな立場で天秤にかけた結果、僕はアルコールの中で、ビールでもなく、ハイボールでもなく、日本酒がいちばん好きだったのだな、と分かった。なのでたまには飲もうと思う。たまになんだから、いいやつを小瓶で買ったりしよう。