2018年4月14日土曜日

数値・端末・記憶

 職場で行なった健康診断の結果が届く。いつもの通り、γ-GTPだけが引っ掛かる。もうこれは仕方ないことで、高地で暮す人々の心肺機能は鍛えられて発達するみたいな感じで、常態として高い数値をキープするのならば、肝臓の機能もだんだんそれに対応してくるんじゃないの、などと思う。それでもなんとなく安心する材料が欲しくて、この人なら間違いない、という上司に、同じ項目の数値を訊ねたら、僕の2倍もあったので、うん、やっぱりまだまだ大丈夫、と一気に霧が晴れた。

 タブレット持つ計画が一気に進み、もう発注してしまった。結局ネットで発注したわけだけど、日中にお店にも実際に行った。しかし僕が求めているような用途の、SIMフリーの端末というのを店では売っていないということで、すごすごと退散したのだった。1年ほど前だったか、ファルマンが購入した際はそんなことはなかったはずなのだが、情勢が変わったのらしい。こういう業界の情勢はどうしてこうも目まぐるしく変わるのだろう。そもそも、僕がスマホをいちども待たないまま、世の中はアイフォン10なんてことを言っている。速すぎないか。なんなら僕はアイフォン1からのスタートでもいい。それが2円くらいで手に入るのならそれでもいい気がする。そしてそれを使って僕は思うのだ。これは画期的な製品だぞ、と。

 子どもたちがドラえもんに嵌まっていて、義母がWOWWOWを録画してくれた大長編のDVDをよく観ている。それで今日、「アニマル惑星」を僕も一緒に観た。とても懐かしく、おもしろかった。思えば僕にとってのドラえもん大長編の黄金時代と言えば、第9作である「日本誕生」(89年公開)から第12作の「雲の王国」(92年公開)のあたりであり、だからすごく思い入れがあるのだった。あの頃はとにかくドラえもんの絵ばかり描いていたような気がする。「ドラビアンナイト」の、ターバンを被ったドラえもんの絵とか、すごく描いた記憶がある。懐かしい。あれから作者も、声優も、すごく死んだり、なんなり、した。急にそんなことを言った。実際、そこから四半世紀ほども経ったのだ。四半世紀と言えばそれなりの年月である。22世紀からやってきたという設定のドラえもんだったが、四半世紀先では、作者や声優が、死んだり、なんなり、したのだった。それは当り前のことなのだけど、なんとなく切なさがある。