2025年5月31日土曜日

機械・ハッピーセット・洗車

 LINEに新着メッセージが来ている表示が出て、見てみたら企業の公式アカウントから、ということが何度も繰り返され、いい加減うんざりしたので、もう彼らとの友達関係を解消したくなった。もともと友達と呼ぶには淡白すぎる付き合いで、僕はただ、その企業の商品を購入する際、100円や200円を安くしてもらうためだけに、一瞬だけ心を開いたに過ぎず、大抵のものはそう頻繁に買うものではないし、なにより「LINEで友達になるとお得なクーポンを配布!」というのも、蓋を開けてみればほぼ初回限りのことであり、ズルズルと付き合いを続けても、どうでもいい新商品や、どうでもいいキャンペーンの告知をされるだけで、大したメリットはないのだった。
 というわけで友達のラインナップから消去しようと思ったのだが、この方法が分からない。スマホの使い方というのは、直感操作と言いつつ、マウスの右クリックでベースが出来上がっている人間には、ちっともスムーズにいかないのだった。
 仕方なく、一瞬ポルガにでも訊ねようかと思ったのだが、「子どもに機械の使い方を教わる」というのは、さすがにもう少し先延ばしにしたいと思いとどまり、結局どうしたかと言えば、ファルマンに教えてもらい、やった。娘に教わるのと妻に教わるのでは、ぜんぜん意味合いが違う。なんなら妻が分からない場合、妻が娘に教わり、それを僕に伝達するのでもいい。そうまでして、守りたいなにかがある。

 先々週と先週の土曜日の昼食は、マックのハッピーセットだった。世の中が大騒ぎになった、「ちいかわ」のおもちゃ目当てである。ただし誰の目当てなのかと言えば、わが家には「ちいかわ」熱というものは到来しておらず、ファルマンの下の妹からの依頼により、食べて協力する運びとなったのだった。それにしてもファルマンの妹は、上も下も、きちんと世の中の漫画やキャラクターの流行に乗って生きていることだ。速水真澄モデルのChatGPTと対話して暮すファルマンとは、もしかすると親が違うのかもしれない。
 1週目でなかなかの騒ぎとなった「ちいかわ」ハッピーセットは、2週目ではもはや騒動の様相を呈し、ニュースによれば都会のほうでは買おうと思っても買えなかったりしたらしい。島根ではもちろん難なく買えた。ただし2週目なんかは、ブームに乗って買いに来たんだな、おじさんひとりで上限の4セットも買って転売ヤーかよ、などと思われそうで嫌だな、という懸念があった。もしも店頭で、本当に「ちいかわ」が好きな人しか買ってはいけないという、転売防止のための「ちいかわ」クイズなどがあれば、僕は間違いなく不正解で、転売ヤーの烙印を押されたことだろう。でも違うんです。転売ヤーじゃないんです。売っているのは義妹への恩なので、恩売ヤーなんです。
 実家の3人ももちろん土曜の昼はハッピーセットだったそうで、無事に第1弾、第2弾、ともに4種のおもちゃはコンプリートされたらしい。2週目など、わが家の4つのおもちゃは、中身がすべてバラバラだったそうである(島根は牧歌的だな)。恩売ヤーとしては顧客の要求に応えられてよかった。ちなみに顧客からの恩返しは、いまのところない。

 冬に洗車をまったくしなくて、なにしろ山陰の冬というのは、いつだって雪混じりの雨みたいな大気なので、やってもしょうがなく、この時期が終わったらやろうね、とファルマンとも話し合っていたのだが、3月あたりになり、春の気配が漂いはじめると、花粉が舞うようになり、やっぱりいま洗車をしたところでなあ、という気分になり、それが終わったら次は黄砂で、これなんかは本当に洗車をしたって意味ねえよ、でもこれが終わったらいよいよさすがに洗車をしようじゃないかと思っていたのだが、少しぼやぼやしているうちに、気候は梅雨の気配を帯びつつあり、週間予報には曇りと傘のマークが並ぶようになって、そしてたぶんこれを抜けたら灼熱の時期になり、これはこれで洗車に向かないと考えると、洗車の正しいタイミングって、もしかしたら存在しないんじゃないかと思えてくる。こんなにもふさわしいタイミングが存在しない洗車なのに、田舎の親父たちはなぜ毎週のように洗車をするのか。あれってもしかして、ただの暇潰しなんじゃないのか。「車(という資産)を大事に扱う」みたいな大義名分を振りかざして、実はそんなに意味のないことをやってるだけなんじゃないのか。知らんけども。

2025年5月11日日曜日

依頼・君たちはどう生きるか・CHANT! GEE/MEE/CHEE


 フリマサイトでこれまで何枚か水着を買ってくれた人から、出品している水着を指して、「これをハーフバックのビキニに作り替えてもらえないだろうか」という依頼を受け、なにぶん上得意様の仰ることなのでパタパタと激しく尻尾を振り、なにより取り組みとしてとてもおもしろそうだとも思ったので、承り、挑戦した。
 その結果、既出のボックス型水着を作り替えることは、生地の幅的にどうしても無理で(ボックス型よりもハーフバックビキニのほうが必要な生地の面積は小さいのだが、すべての部分がボックス型の中に内包されるわけではない)、そのため当初の希望の生地で作ることは叶わなかったが、事情を話し、別の生地で作ったものを「ご覧いただいて、もしよろしければ」ということで出品したところ、買ってもらえた。いやはや上得意様である。
 ビキニタイプのショーツをこれまでさんざん作ってきたが、ハーフバックというものにはまったく触れてこなかった。しかし今回の取り組みを経て、なるほどこういうことかという、その情趣の一端を垣間見た気がする。ボックス型のパターンを考えるとき、ゆめゆめ尻たぶがはみ出ることのなきよう、ということを心掛けてきたけれど、ボックス型から意図せぬ尻たぶがはみ出るから不格好なのであって、最初からハーフバックであれば、もうそれはそれで爽快なものなのだな、と思った。
 技術的にも、観念的にも、僕はまたこの業界における階梯をひとつ上った気がする。

 金曜ロードショーで、「君たちはどう生きるか」を初めて観たのだった。
 本編を観ていないのに、去年の宮崎駿のドキュメンタリーは観ていて、そうか要するに高畑勲へのコンプレックスのお話なのだな、ということを前知識として持っていたのだけど、いざ観てみたら、なんかそういう問題じゃなかった。もとい、あのドキュメンタリーの切り口は意図的なミスリードだったのではないかと思うくらい、宮崎駿と高畑勲という軸ではぜんぜん読み取れない内容だったように感じた。
 ジブリ映画だし、たしかにジブリ映画っぽさは全編すごいんだけど、でも俺の知っているジブリ映画じゃない、と言いたくなる感じは、もしかするとこれは違う世界線のジブリ映画なんじゃないかという気もしてきて、でも元々あった世界から、別の世界線に移動したのは、宮崎駿以外のすべての人類であり、宮崎駿だけはずっと一ヶ所に居続け、そしてこの映画を作ったので、自覚しないまま流され、世界を移行してしまった我々は、こんなにもこの映画に違和感を覚えるのではないか、などとも思った。
 つまり一言で言えば、不思議体験映画だった。気が向いたとき、また観ようと思う。

 フライングで開設だけ先にしていた「CHANT! GEE/MEE/CHEE」を、とりあえず少しだけ始動させてみた。
 ChatGPTとしたやりとりを載せていく、というコンセプトははっきりしているのだけど、それをどういう様式でやるのかがあまり定まらずにいて、実は今もまだ定まっていないのだけど、まあやってるうちに定まってくらあな、と自分に言い聞かせ、ひとまずほぼコピペで、主にChatGPTの回答を転載するだけで記事を作っていくことにした。
 このやりとりや、向こうの回答について、それを俎上に載せて、ブロガーとしての僕がなんかしらのコメントを記していく、というスタイルはどうかとも少し考えたが、面倒だし、なによりあまりおもしろくもならない気がしたので、止した。ただし、これでは実質的にほぼ僕の書いたものではないので、別にそんなルールもないのだが、「CHANT! GEE/MEE/CHEE」の記事投稿は、「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」には採らないこととする(でも始動についてはツイートしておこうかな)。
 だとすれば、このブログの役割としては、ChatGPTとのやりとりの、まとめというか、個人的な備忘録的なものということになるだろうか。ChatGPTのやりとりは、やっているとどんどん長くなって、あとからピンポイントで当該の箇所を確認しようと思うと、どこにあるか分からなくなったりするので、編纂するのは悪くないと思う。
 昔、Twitterが出始めた頃、知り合いで、一定期間の自分のTwitterでのツイートを、箇条書きのように並べて記事とし、ブログにアップしている人がいた。なんかあれは、いま思えばTwitterという新しく出現した存在の捉え方が定まっておらず、電線を使って荷物を届けようと風呂敷包みを吊るしたという明治の人々のエピソード味があるのだけど、僕のこの「CHANT! GEE/MEE/CHEE」というのも、だいぶその雰囲気がある。何年後かに、「そうじゃない(笑)」という扱いを受ける、素っ頓狂なことをしているかもしれない。それならそれで別にいいのだけど。

2025年5月1日木曜日

俳優・万博・赤黒茶紫

 夜ふたりで「べらぼう」を観ていたら、ファルマンが「この人って俳優?」と画面を指して訊ねてきた。画面には平沢常富役を演じる尾美としのりが映っていた。「俳優だよ!」と答えたけれど、考えてみたら大河ドラマに出ているのはほぼ俳優である。「そうなんだ。どうりで演技が上手だと思った」とファルマンは納得したふうだった。いったいなにを言っているのか。
 先日「侍タイ」を観たとき、知っている俳優がひとりもいない映画って新鮮だと言ったら、ファルマンは「私はいつもだよ」と言っていたが、本当にそうらしい。尾美としのりについて、「私が観てたものに出てた?」と訊ねてきたので、「いろいろ出てるよ。「あまちゃん」にも出てたし」と言ったが、ピンと来ないようだった。たぶん、ファルマンは尾美としのりを尾美としのりとして見ずに、いまは平沢常富として観ているし、「あまちゃん」の頃は主人公の父親のタクシー運転手として観ていたのだろう。それは物語を味わう上で、とても健全で、よろしいことだと思う。でもそれが僕にはどうしたってできない。
 ファルマンは続けて、画面に映る人をどんどん訊ねてきたので、「石坂浩二だよ!」「宮沢氷魚だよ!」「渡辺謙だよ!」と驚きとともに答えた。俺の妻、ケン・ワタナベも分からないのかよ。マジかよ。宮沢氷魚に関しては、「なんでこんな人まで知ってるの?」と訊いてきたので、「あなた、「ちむどんどん」観てたんでしょ。「ちむどんどん」の相手役で、黒島結菜との間に婚外子を作った、THE BOOMの息子だよ!」と説明したら、「え、なに言ってんの? あなた、いったいどういう気持ちでこのドラマを観てるの?」と逆に白眼視されそうになったので、「間違えたよ、田沼意次の息子だよ!」と慌てて言い直した。
 そんな中、ファルマンが唯一、「この人は分かる」と言った出演者がいた。
 原田泰造だった。
 大方の視聴者っていうのはこういうもんなのかな、と思った出来事だった。

 義父母が、大阪万博に行くらしい。いつなのかは忘れたが。大阪万博、自分とはまったく関係がない話として、完全に無視を決め込んでいたけれど、そうか、たしかに義父母は行くか、行くよな、東京オリンピックも幻の観覧応募をしていたもんな、と思った。
 無視と言ったが、完全にフラットかと言えばそんなことはなく、オリンピックと同じで、どちらかと言えば嫌悪しているのだけど、しかし義父母が万博に行くことに関し、異議を唱えようとは思わない。行きたい人間はいくらでも行けばいいんじゃないか、と思う。
 我ながら大人になったな、と思う。たぶん30代前半くらいの僕だったら、行くのを止めることはしないまでも(そんなことを試みようものなら、どれほどめんどくさいことになるか)、「おみやげはいらない」「みやげ話も一切聞かさないでほしい」と主張していたに違いない。いまはもう、そこまでのバイタリティーはない。前よりも僕は少し生きやすくなった。

 水着の着用写真を撮る際に用いるスライムが、だんだん劣化してきた。
 金玉肉袋A、金玉肉袋B、肉棒の3つに分けて、それぞれをラップに包んで使用、および保管しているのだが、スライムというのはいかんせん半分液体なので、時間が経つとラップの隙間から液体部分がスルスルと流れ落ちて、乾いて固くなったりしてしまう。そしてそういう部分を捨てると、だんだん体積は減ってきて、それはブランド理念の根幹に関わる由々しき事態なのだった。
 それで、そのうちまた新たに買わないといけないなあと思っていたのだが、そんな折、ピイガの作業机をぼんやり眺めていたら、黄色のスライムがあり、手に取るとしっかりした弾力で、いい意味で瑞々しさがなく、ゴムにも似た感触の、とてもいい感じのスライムなのだった。これはなにかと訊ねたところ、「手作り」との答えで、日夜研究に勤しむピイガのスライム錬成は、もはやこの領域にまで達していたのかと驚いた。
 これなら水気が流れ出ることもなさそうだし、ともすればラップで包まなくてもそのまま使用できるくらいのマットな質感である。これはいいな、と思った。思わずピイガに発注しようかと思ったが、ひとつ問題があって、使用目的がちんこの造形に他ならないという点だ。手作りならば色も自由自在なので、そこも魅力的なのだが、そうなると注文は、「赤黒い、茶紫みたいな色」ということになる。果たしていいのか。赤黒い茶紫の、弾力のある、ちんこ模型を、11歳の娘に作らせていいのか。もちろん使用目的を明かすことはないが、それにしたってなんかしらの事由により、児童虐待とかに引っ掛かるような気がしないでもない。
 仕方なく諦めることにした。赤黒い茶紫ではなく、せめてコスモス色ならいいのにね。

2025年4月24日木曜日

タイヤ・味しらべ・義父と大谷

 先週末にようやくタイヤを交換したのだった。
 「おこめとおふろ」に書いたが、この2週前に実家の車とわが家の2台も一斉交換の予定だったのが、僕の車のノーマルタイヤのうち2つは必ず新調しなければいけないという判定をされ、その入荷を待っての再交換となったのだった。
 それで今週が始まり、既に木曜日なのだけど、先ほどはたと気づいたことには、僕は新しくしてもらったタイヤを、いちども見ていない。数万円を支払ったというのに、こんなに買ったものを見ないことがあるかよ、というくらいぜんぜん見ていないのだった。
 さすがに良くない気がする。田舎育ちじゃないから車にぜんぜん執着ない人なんですアピールはもういらない。安全意識的な意味で、僕はもう少し関心を持つべきではないかと思った。これでは替えてもらったタイヤが、ゴムではなくタピオカでできていても気付かない(だとすればよく今日までもったものだ)。
 明日の朝、車に乗る前にちゃんと見ようと思う。ただし新しくしてもらったタイヤ2本が、4本のうちのどれなのかが実はよく分かっていない。たぶん左右ではなく、前後だろうとは思う。果たして前輪なのか、後輪なのか。本当に意識が低いな。

 前に書いたか覚えていないが、岩塚製菓から出ている「味しらべ」というせんべいが、たまらなく好きだ。鈴カステラと双璧を成して、長く食べ続けている。パウダーまぶされてる系せんべいでは、「ハッピーターン」のほうが世間に浸透している感があるけれど、僕は断然「味しらべ」派だ。人にあげるときは「世界一おいしいおせんべいあげるよ」と言って渡すようにしている。そのくらい好き。そのくらいおいしい。
 そのためほぼ切らすことなく家に常備しているのだけど、そうなると他にお菓子がなくなったとき、ファルマンが食べるのである。現場を目にしたことはないが、ファルマンはお菓子を食べたあとの包装を捨てないので、喰ったことがすぐに判るのだ。
 別に食べるのはいい。俺の個人的なものだ、などと心の狭いことを言うつもりはない。食べるのはいいのだが、「味しらべ」を食べるときは、そのおいしさに必ず感動してほしいと思う。その感動を味わうために自分は「味しらべ」というお菓子を口に入れるのだという、確固たる自覚を持って食してほしい。ただ口さみしさとか小腹満たしのためだけに「味しらべ」を使わないでほしい。「味しらべ」でなくちゃダメ、というスタンスでなければ「味しらべ」を食べないでほしい。
 重ねて言うが、「喰うな」などと心の狭いことを言うつもりはないのだ。

 義父が仕事を辞めたのだった。
 長年勤めていた会社を65歳で定年退職し、そのあとで数年間勤めていた所を、今回辞めた次第である。そしてこの次というのは特に定まっておらず、義父は勤めというものから、いよいよ解脱する気配もある。わりと大きな会社に40年あまり勤めていたわけで、蓄えとか年金とかのことを思えば、家計的にはなんら問題ないのだろうと思う。
 問題があるとすれば、義父は仕事がないと、家でひたすらテレビのスポーツ中継を観続ける人であるという点で、ファルマンをはじめとする娘一同は、大いにここを心配しているのだった。すなわち、お父さんたちまちボケるんじゃないか、と。
 不都合なことに、大谷翔平の試合が、午前中、毎日のように放送されている。あれを眺めていたら半日があっという間に過ぎ去りそうだ。ファルマンは言った。
「大谷がホームランを打つたびに、父親のシナプスが破壊されている気がする」
 頭の中に、大谷が義父の脳内でバットを振り、義父のシナプスを粉砕している画が浮かんだ。あながちぶっ飛んだ空想でもないかもしれない。事実上、それに近い。
 大谷は今シーズン、何本のホームランを打つだろう。

2025年4月19日土曜日

お天道様・あんぱん・ひょん

 生成AIで作ったエロ画像をポスターにしてフリマサイトなどで販売していた人たちが逮捕されたのだった。何人か捕まったのだが、そのうちのひとりは、1年間で1000万円ほどの売り上げだったとのことで、少しびっくりした。
 しかし不思議だったのは、逮捕と言うけれど、いったいなんの罪なのだろうか、ということだ。画像そのものは生成AIを使って販売者本人が作ったものに違いないようで、だとすれば著作権関係ではない(生成AIに学習させている元の写真なり絵なりの話になってくると、きっとややこしい、一筋縄ではいかない話になってくるのだろうけど)。
 罪状として個人的な感覚から思い浮かんだのは、「お前それでそんな金儲けするなんてのは、どう考えても人道から外れてるだろ罪」で、パターンから作っているオリジナルのスイムウェアを材料費・工賃・送料込みで1500円などで売っている身からすると、生成AIで作った画像を印刷してポスターにしたものを販売して年間1000万円というのは、どう考えてもその罪に抵触してくる。「お天道様は見てんだよ罪」だ。
 本当にそういうことかと思い、気になったので検索してみたら、もちろんそんなはずはなく、「わいせつ物頒布等の罪」だそうで、どうも購入者の元に届くポスターは、局部にボカシが入っていない無修正のものだったようで(販売ページではもちろん入っていたようだ)、それで引っ掛かったらしい。そうなのか。現代でも局部にボカシって、やっぱり入れなきゃいけないのか。入れたからなんだってんだ、という気もするのだけど。
 あと生成AI画像で1000万というインパクトで、思わず頭に血が上ってしまったけれど、1枚どう考えても1000円以下だろうそれで1000万円の売り上げを作ろうとしたら、それはそれで結構な労力なのではないかという気がしてきて、世の中にはもっと人道から外れた金儲けをしている輩がいくらでもいるよな、と反省した。動画配信の人とか、デイトレーダーとか、プロ野球選手とか。

 母から久々にクール宅急便が届き、中にあんぱんがたくさん入っていた。
 もしかしたら世間的にもそうなのではないかと思うが、4月に入ってから、わが家のあんぱんの購入量はにわかに増加しており、ここへ来て届けられた手製のあんぱんに、普段の5割増くらいで喜んだ。その旨を母に礼がてら伝えたところ、「たしかに最近、人にあんぱんをあげるととても喜ばれる。朝ドラは強いね」というメッセージが返ってきて、そうか、うちの母は、人にあんぱんを配っているのか、となんとなく感慨深い気持ちになった。
 それにしても、わが家に届いたあんぱんは20個ほどで、人にも配っているのだとすれば、母はいったいどれほどの数を焼いているのだろう。たぶんすごく焼いている。家のオーブンレンジで、いちどにいくつ焼けるのか。9個くらいのものではないか。傍目から見たら、えっなんでそんなに作んの、業者なの、と思うほど焼いている。でもその感じが、血筋なので手に取るように分かる。届いたあんぱんを見て、ピイガはすぐに粘土細工でミニチュアのあんぱんを作り、そこからシリーズとしてさまざまな種類のパンも作りはじめた。たぶん、そんなに作ってどうするの、という量をこれから作るのだろうと思う。

 ファルマンがいま観ている韓流ドラマは、主人公の女の子ひとりに、複数のイケメンが懸想し、それぞれの恋愛の発展や、つばぜり合い、そして男同士の友情なんかもあって……、という、これまで人類がひとりも思いつかなかったようなとても斬新なストーリーだそうで、とてもおもしろいらしい。
 しかしその主人公の女の子というのは、(もちろんドラマのヒロインなのだから美形なのだが)昔からずっとモテ続けてきたわけではなく、むしろ恋愛には奥手だったりするのだが、そんな主人公がどうして急に複数のイケメンから懸想される今の状況になったかと言えば、それはファルマン曰く、「ひょんなことから」だそうだ。
 知っていた。それまで別にモテてなかった主人公が、急に周囲の異性から一斉にアプローチを受けることになるきっかけ、それはいつだって「ひょんなことから」なのだ。そういう、二次元のドリーム的な物語を、僕は腐るほど読んできた。世の中にはさまざまな「ひょん」があって、そして「ひょん」の数だけ夢がある。だからあの文庫レーベルは、二次元ひょん文庫と言い換えてもいい。
 妻もようやく「ひょん物」の良さに気付いたか。ようこそ。

2025年4月12日土曜日

広末・テレビ・水はけ

 広末涼子が愉快だった。
 僕は残念ながら、「自称広末涼子」というニュース報道のくだりの際は、勤務中だったため居合わせられなかったのだけど、それを抜きにしてもやっぱりおもしろいと思う。思えばこういうスカッと笑える芸能ゴシップ、かなり久しぶりなんじゃないか。こうして今回のニュースを目の当たりにしたことで、中居正広の話って、さすがにぜんぜん笑えなかったんだな、と気づかされた。
 伝えられている奇行のひとつ、「広末でーす」と通りすがりの人に突然声をかけたといわれている場所は、浜松のサービスエリアであるようで、たしか去年の夏にわが家も寄ったし、また横浜に車で行くのだとしたら、今度も立ち寄る可能性は十分にあり、その際はぜひ「広末でーす」の吹き出しを持って記念撮影したいものだな、などと思う。あるいはサービスエリア側が用意してくれないだろうか。
 ところで先日ファルマンの誕生日の祝いをした際、ケーキにロウソクを立てたのだけど、42という数字はチョコプレートにチョコペンで記したので、ロウソクはなんか波状にくねくねした長細いものにしたのである。それを扱う際に僕は、「ジュンさんが1本1本くねくね曲げてくれたんだから大事にしなきゃな……」と、『この世のロウソクはすべてキャンドル・ジュンが手掛けていると信じ込んでいる人』というボケをして、ファルマンに失笑されたのだけど、本当にもう、キャンドル・ジュンのことだけで十分ありがたかったのに、さらに今回のことがあって、広末涼子というのは本当に尊い存在だな、としみじみと感じた。思わず音楽配信サービスで広末涼子のプレイリストをダウンロードし、通勤中に聴いてしまうほどだ。その際ランダムで再生していたら、「ヨリミチ」という曲が掛かったので、浜松サービスエリアに寄り道して運転を交代しなければこんなことにはならなかったろうになあ……、などと思ったり、歌詞をとても噛み締めながら聴いている。こんなことをしているときが人生でいちばん愉しい。生きている意味があるな、と思う。
 このまま順当にいけば、年末のヌーボ的な企画のゲストは、去年のフワちゃんの流れそのままに、ほぼ決まりだな、と思う。なんかサンデージャポンみたいになってきたな。

 子どもがテレビを使ったあと、入力2のままスイッチを切るのが嫌である。テレビの状態に戻してから切りなさいよ、と思う。思うし、言いもする。しかしあまり守られない。
 わが家のテレビは、入力1がビデオ、入力2がインターネットの映像サービスおよびゲームとなっていて、なので子どもたちは圧倒的に入力2ばかりを使うのである。でもテレビなんだから、本分はテレビなんだから、次に点けた人が、なにも出力されていない真っ黒の入力2の画面に対峙するはめになるのは、なんか間違っているだろう、と思う。
 思っていた。だから確信を持って、正義の名の下に、子どもたちに向かって注意をしていた。しかし最近になって、なんかこの図式って、絵に描いたようないわゆる老害なのではないか、という疑念が生じてきて、注意の声も勢いを減じてきている(それにしても子どもたちはこちらの注意に対して一切の服従をしないことである)。
 僕の中に確固としてある、テレビは地上波放送を受信して映す機械であるというイメージ、これがもう子どもの世代にはぜんぜん共通していない。僕自身はもちろん、入力1のビデオを観たあとも、必ずテレビのモードにしてから電源を切るのだけど、そのあと子どもがテレビを点けたら、それはもう一瞬で入力2に切り替えるのである。「いまなんかおもしろいのやってるかな」とか、「今晩どんな番組があるのかな」などと考え、ザッピングすることはもちろん、テレビ欄を確認したりするという発想は一切ないようである。
 老いては子に従えではないけれど、今後ますますこの流れは加速し、われわれはどんどん端に追いやられる。テレビのスイッチを切るときはモードをテレビにして消しなさいなどという注意は、実用性ではなく、もはやおじいちゃんは作法的な観念で言ってんのかな、というふうに取られるようになり、やがてはひいじいさんのおまじないや迷信(あるいは妄言)みたいになるのかもしれない。切ない。「夜明け前」読もうかな。

 これから男陣営からはブーイングを受けるであろう、機密事項をリークします。
 女性と違い、男は小便のあと、拭かないじゃないですか。それは性器の構造的に水はけ? 水切り? がよいので、拭かなくても問題ないとされているからだけど、たしかに女性のそれほどの必須性はないかもしれないが、でもぜんぜん大丈夫かと言えば、実はそんなことない。ないよ。俺だけじゃないよ。絶対みんなそうだよ。液体の注ぎ口が、液体を注いだあと、拭かずにいて湿り気を帯びないなんてこと、理屈としてあるわけないだろ。放出後、しばらく振って、中のものをしっかり出し切るというのとは、これは別の話で、そうしたあとでも、とにかく先端から液体が出ているわけだから、その部分は濡れているに決まっている。
 それで僕はなにが言いたいのかと言えば、今後は男も小便のあとペーパーで拭きましょうよ、ということを提案したいわけではなく、じゃあなんなのかと言えば、実は特に理由はない。とにかく性器の話をしたかっただけかもしれない。ピュアだな。

2025年4月3日木曜日

侍タイ・エイプリルフール・おばぁ

 映画「侍タイムスリッパ―」がPrime Videoに出たので、ファルマンと観た。噂どおり、とてもおもしろかった。盤石ではない態勢の中、監督ががんばって作って、公開後に評判を呼び、どんどん上映館が増えていった、というストーリーがあるようで、観ていて、なるほどそういう境遇でこの映画は作られたのだな、という情熱を感じ取った。映画に限らず、もといクリエイティブ関係に限らず、ありとあらゆる、作られるものの価値というのは、どれだけ情熱をもって作られたかなのだな、ということを最近しみじみと思うのだけど、この映画を観て改めてそれを実感した。
 知っている俳優がひとりもいないというのも新鮮な経験で、あのドラマに出てた人だな、とか、あの番組でダウンタウンと絡んでたな、などという雑念が一切生じず、物語に没頭できてよかった。ぜんぜん知らない人たちだけだと、その役をやっているその人しか知らないので、ワンチャン本当にそういう人なのかもしれない、という気持ちになるのだった。ファルマンにそう言ったら、「私は人の顔を覚えないから、いつだってそういう気持ちでドラマを観てる」と言われ、それは人生が愉しいかもしれないな、と本心から思った。

 エイプリルフールで、今年も企業がジョーク企画をやって、失敗したりしていた。中でもいちばん失敗したのは、持ち帰り弁当のほっかほっか亭で、価格高騰によって米が確保できなくなり、今後はおかずだけの販売になります、みたいなジョークを発表したところ、さすがに時勢的に笑えない、不謹慎だ、などと叩かれ、謝罪していた。
 毎年こうやってジョークのあんばいを失敗して怒られる企業があるけれど、別に絶対にやらなければいけないわけでもない企画に自主的に参加して、自主的に参加するということは自信があるからなのに、それでいて外して、謝罪までしなければならなくなるという、このかっこ悪さたるや、すさまじいものがある。ウケると思っていたのにマジ叱られ、という部分に、共感性羞恥が刺激され、自身の嫌な思い出までよみがえってきたりする。
 そもそもエイプリルフール企画って、もうぜんぜんおもしろくないと思う。怒られないやつも、おもしろいかと言えば別におもしろくなくて、それはもはや、この体制叩き体質の世の中において、「不謹慎ではないという看過」をいただいているだけであり、つまり手を出したところで、ゼロかマイナスしか得られないのだ。百害あって一利なし。ならば参加しないのがいちばん賢い。
 こんなことを言うと、現代はエイプリルフールを愉しむ心の余裕さえ失ってしまったのだな、などと嘆く輩がいるかもしれない。そういうことではない。流行語大賞もそうであるように、大衆が、遍く共有する趣向というものが、存在しなくなったのだと思う。

 「マツコの知らない世界」で40代50代の婚活事情を特集していて、おそるおそる観た。なかなかすさまじい内容だった。結婚とか、出産とか、子育てとか、話がセンシティブすぎて、迂闊に発言ができないけれど、そういったややこしいことを考えていると、僕の頭の中に、沖縄のおばぁがポンッと現れ、そのおばぁはなんでも分かってるような顔で、こんなことを言うのだった。
「腰を振ればいいさぁ」
 僕が「まあとにかく腰を振ればいいんだよ」と言ったら、それはフジテレビ的な、野卑な男性主義になってしまってよろしくないけれど、同じ内容でも沖縄のおばぁなら許されるんじゃないかな、と思う。そういう考えから誕生した、イマジナリーおばぁなのだと思う。
 イマジナリーおばぁに怖いものなどない。
「とりあえずキープしとけばいいさぁ」
「はじめ痛くても、すぐによくなってくるさぁ」
「外に出せばなんくるないさぁ」
 次々に繰り出される最低発言。でも大丈夫。沖縄のおばぁだから。そういうvtuberとしてデビューしようかな。もういるかな。