2024年9月7日土曜日

田んぼ・米・おにぎり

 出勤で田んぼの間の道を走っていたら、車の接近によって道端にいた鳥が飛び立ったのだけど、3羽だったその鳥というのが、カラスと、サギと、トンビだったので、少し驚いた。よくあるのは、同じ種類のものが2羽でいるパターンで、あるいはカラスが何羽かいるところにトンビも1羽だけいる、みたいなときもあるけれど、今回のように別の種類の鳥が、それもきっちり1羽ずつだけいる、というのはだいぶ珍しいと思う。あまりに特異な感じがしたので、あとから、あれはそれぞれの種族の代表者会議だったのではないか、と思った。カラス族、サギ族、トンビ族のリーダーだけで集まり、今後の方針などについて語り合っていたのではないかと。あるいは「ボクらの時代」の撮影だったのかもしれない。どちらにしろ、無粋な邪魔を入れてしまったと思った。

 米の品薄が叫ばれていて、実際スーパーではあまり米を見かけない。まったく手に入らないわけではないので、いまのところなんとか食い繋げてはいる。
 ところでこの、スーパーの棚から商品がなくなるという現象について、幸か不幸か、だいぶ自分の中で耐性ができているな、ということを今回の米の件で感じた。社会人になって、自分で食料を調達するようになっての最初のそれは、東日本大震災だった。あのときは、乳飲み子を抱え、商品があっても産地を気にしなければならないという制約まであったので、格別につらかった思い出がある。その次はコロナ禍だ。終わりが見えなかったこともあり、このときもだいぶ精神に来たものだった。とは言えこうして考えると、10年にいちどくらいしかそういう思いをせずにいられている、というのはむしろだいぶ恵まれているのかもしれない。
 そしてそれらの時代に較べると、今回の米不足というのはそこまで哀しくならないな、と思う。なにぶん米だけの話だし(昨今の全般的な物価高というファクターもあるにせよ)、さらには日々の暮しの中で、立派に実った稲穂を日々めっちゃ見ている、というのも心を安心させているのだと思う。別に近所で作った米を直接入手しているわけではないけれど、こうも無事に育っている以上、実際にはそう深刻なことではあるまい、という確信が持てるのだった。これは紛れもなく田舎住まいの利点である。米が実っている情景が見られず、スーパーの棚に米がなかったら、それはだいぶ不安になるだろうとも思う。

 今夏の帰省の際、夕餉でおにぎりが出た。大人たちが酒を飲む中で、お茶碗で白米というのも間が抜けている感じがあり、おにぎりにしたのだろうと思う。このおにぎり作りを、母とともに僕もやった。本当に炊きたてのごはんだったので、やけどしそうなほどに熱かった。そして夕餉が始まり、普段からババの家に入りびたっている姉の子どもたちは、並んだおにぎりを目にすると喜んだ様子で、「ババのおにぎりはすごくおいしいんだよ」などと言ってくる。この言い方に、なんとなくカチンと来た。おにぎりのような素朴な食べ物に、おいしいもなにもないだろう、と僕はずっと思っているからだ。水を付けすぎとか、強く握りすぎとか、下手な人が作ったまずいおにぎりはあっても、特別おいしいおにぎりというものは存在しない、変なスピリチュアルなことを言うもんじゃない、と姪らを諭した。すると姪らも躍起になって、「ババの作ったおにぎりは特別おいしいから、パピロウの作ったものとは味がぜんぜん違うはずだ、食べたらすぐ判る」などと言い出す。しかしその時点で、おにぎりはだいぶ減っていたし、母と僕の作ったおにぎりはランダムに混ざっていたので、互いに主張する説の実証のしようがなかった(食べている途中で誰も「これは特別おいしい」「こっちはあまりおいしくない」と言っていないのだから僕の主張が正しいと言えるが)。そんな中で、大皿に残っていた、まだ手に取られていないおにぎりの中で、時間経過とともに形が崩れてしまっているものがひとつあって、それを指して姪が「これはきっとパピロウが作ったやつだね」と言ったのである。これにははらわたが煮えくり返った。僕は島根では、ひとりやけに食べ物にこだわりがあって、料理も上手というキャラで通っているので、このような扱いに慣れておらず、本当に心外だった。よほど僕はこのときのことが悔しかったようで、半月後くらいにこの情景をそっくり夢で見た。起きてから、怒りが静かに再燃すると同時に、さすがにおかしく、けなげな自分への愛しさも募った。この話のポイントは、母の作るおにぎりのおいしさとかを息子がぜんぜん謳わないところ。材料が同じなら誰がやっても変わるはずがないと断言するところ。

2024年8月24日土曜日

豊川・えぐ夏セルフ・寝言シリーズ

 夏休みが終わり、平常の日々に戻っている。しかしまだ余韻に浸っている。なんの余韻か。キャッスルイン豊川の余韻である。
 旅程最後の宿泊場所ということもあってか、帰省の思い出のすべてが、あの晩で上塗りされてしまった感じがある。でもそれでいい。ひとえにそのおかげで、だ。復路の宿泊先も、往路と同じようなただのビジネスホテルであったらば、今回の帰省はただ、地震と台風に怯えながら、伊勢神宮には参らず、その代わりに夏の暑さに参り(うまい!)、そして実家に妻子を連れて顔を出すという義務をこなしただけ、ということになったと思う。それがキャッスルイン豊川のおかげで、1週間経っても余韻に浸るほどの上質の思い出になった。まるでお金をもらっているかのように賛美するけれど、もちろんそうではない。読者が4人くらいしかいない屑ブログの塵ブロガーとそんな契約をして、ホテルにいったいなんの得があるというのか。
 いつになるかは分からないが、次の帰省も今回と同じく車で行くことになるだろうし、そうなると宿泊場所は行きも帰りもキャッスルイン豊川を選ぶと思う。こうなってくるともはや帰省の主目的はむしろそっちのほうだ。キャッスルイン豊川に行けるから、しょうがない、帰省するか、くらいの感じ。早くも僕とファルマンは、「帰省する」という意味で、「キャッスルイン豊川に泊まる」と言い始めている。「次のキャッスルイン豊川はいつにしようかね」などと。
 もしかしてあそこが実家なのかもしれない。

 夏の暑さがえぐい。生きる気力の削ぎ具合が半端ない。
 8月ももう下旬ということで、暑さはぼちぼち収まってくるのかしら、毎年夏っていつくらいまで暑いのかしらっけ、と少し思いを馳せたら、自分で言い出した、この世で僕しか言っていない、「夏という季節は僕の誕生日の前日でおしまい。僕の誕生日からは秋」というフレーズに思い当たった。そうか、9月20日からは秋なのか……って、まだ約1ヶ月間あるってことやないかい! と絶望した。近ごろ自慰行為のことをセルフプレジャーと呼んでいこうよ、という向きがあるけれど、僕が頭の中で、僕のオリジナルの提言によってショックを受けるのは、さしずめセルフデスペアーということになると思う。そんなことをしていったいなんの得があるというのか。
 と、あまりに体がしんどいので、そんな絶望感に打ちひしがれていたのだけど、おとといくらいに判明した事実として、この体のしんどさは、夏の暑さももちろん原因のひとつではあるけれど、要するに僕はいま、風邪を引いているようで、そのせいでこんなにもつらいのだと思い至り、風邪が逆に気持ちのプラス材料になるという稀有なパターンだが、風邪が治ったらたぶんもうちょっと夏にも立ち向かえるはず、これまで実際そうだったし、ということで前向きに捉えている。偉い。パピロウのそういうところ、本当に好き。好き好き大好き。結局セルフプレジャー。

 8月にファルマンから報告された、僕の寝言。2日分ある。
 1日目は、いきなりこう叫んだという。
「個人差別だ!」
 それはだいぶ怒気を含んだ口調であったという。まるで舌鋒鋭い論客のようだが、しかし「個人差別」というのは、違和感のない言葉のようでいて、実はあんまり聞かない表現ではないだろうか。「人種差別」「職業差別」など、「差別」の前にはなんかしらの分類項目の語が来るものだ。そこが「個人」では意味が分からない。でも実際には変なのに、なんとなくそのまま看過してしまいそうなところが、いかにも夢らしい微妙な変さだと思う。
 そしてその少しあと、今度はしたたかな口ぶりでこう言ったという。
「ここに判を捺すんだよね、相手が」
 なんだろう、日曜劇場半沢直樹なのだろうか。夢の中の僕は、どんなシチュエーションでなにをしているのだろう。それにしても判て。夢で、判て。すごく嫌なタイプの夢だな。
 あと僕の寝言は、前回の「さなえちゃん、さむかったろう、まだまだ……」がそうであったように、倒置法というか、独特の言い回しがなんとなく薄気味悪いと思う。
 2日目は一転、こう始まったという。
「いいね!」
 SNSで人に付けてやることもなければ、もちろん実生活で使うこともない、誰もが知る軽やかな礼讃のセリフを、夢の中の僕は屈託なく使っているようだ。愛しい。40年分の外的要因によって心はボコボコの歪な形状になってしまったけれど、その奥底にある深層心理は、こんなにも丸く、清らかなのだ。知ってたけど。
 しかしそのあと、今度は少しテンションを下げ、少し寂しげな口調でこう続けたという。
「公共の施設……」
 民営だと思って企業努力を褒めたのに、よく見たら公営だったのだろうか。それでも別に寂しくなる必要はないじゃないかと思うし、なにより、夢の中でそんなことに拘らなくて別にいいよ、と思う。
 また報告があったら紹介する。

2024年8月6日火曜日

髪染め・レモンサワー・再入会

 先週末、髪を染めた。
 当初は赤髪にしようかと思っていたが、家族から猛反発を食らったことで日和り、結局ピンクで落ち着いた。そのピンクも、はじめはどぎつい感じのピンクで考えていたのだけど、ちょうどオリンピックのニュースで、現地で応援する日本人の映像の中に、柔道着を着てハチマキをしたピンク髪の男を目にしたことで一気に気持ちが萎え、最終的には淡いピンク色というところに落ち着いた。まあまあ金髪っぽかったところに色を入れたので、それなりにピンク色が出て、独特の色合いになって満足した。しかしピンク色というのは、前々回の記事にも記したように、やはりわりとすぐに、ただの茶髪っぽくなってしまった。ファルマンなんかは、「それでも普通の茶髪とは微妙に違うよ」と言うのだけれど、それは妻であり、さらには髪染め作業をしてくれた本人だから、その微妙さを感じ取るのであって、世の中の大半の人は僕の頭を見て、「茶髪だなあ」と思うに違いないと思う。だとすれば、実際にはハイブリーチとヘアカラーという、強いダメージをふたつ頭皮へ見舞わせたというのに、その結果たどり着いた場所は、やさしめのブリーチを1回しただけで来られる場所だった、ということになりはしまいか。もしかして僕は、とんでもない愚行をしてしまったのではないか。未来の自分へ顔向けできない行為をしてしまったのではないか。しかし未来の自分が禿げているのだとすれば、それは申し訳なさとは別の理由で、そんな自分には顔を向けたくない、と思う。禿げたらウィッグを着けるよ。カツラじゃないよ、ウィッグだよ。

 レモンサワーがおいしい。EXILEじゃあるまいし、普段そこまでレモンサワーを愛好しているわけではないのだけど、近ごろはすがるようによく飲んでいる。こんなにおいしい飲み物がこの世にあるのかよ、と飲むたびに感じる。
 ビールももちろん飲み、おいしいな、と思うのだけど、今はレモンサワーが勝っている。たぶんこれは、ビールがソフトクリーム、レモンサワーがかき氷ということなのだと思う。マーケティングの話で、もちろん正確な数字は忘れたけれど、気温が30℃とかを超えるとソフトクリームよりかき氷が売れ出す、というのがあるだろう。あの現象と同じことが起っているのだと思う。あまりに暑いと、麦芽のうまみとかマジでどうでもよくて、今にも凍りつきそうな柑橘系という、ものすごく単純な快楽しか受容できなくなってしまうのだ。
 そのくらい暑い。バカかよ、と思う。年々暑くなって、年々エアコンの稼働が増える。人類はもう長く持たないのだろうとしみじみと思う。

 ようやく切れていたプール会員の再申し込みをした。
 これまでの会員期限が切れたタイミングと、1年でいちばんプールが混むタイミングと、1年でいちばん体力が減退しているタイミングが、見事にバッティングしてしまったため、かなり再入会の踏ん切りがつかずにいたのだが、先日えいやっとやってきた。
 というわけで、その日以来、平日の退勤後も含め、ちょいちょい泳いでいる。しかし半月ぶりくらいに泳いでびっくりしたのだけど、体が重いこと重いこと。日常の中でも、いまの時期は暑さでへとへとになるなあ、というのはもちろん感じるけれど、水の中に入って泳ごうとすると、その事実がとても鮮明に、如実に分かる。ふだんに較べ、俺はこんなにも低いHPで生きていたのか、ということを実感させられる。
 それでも泳ぐのはやっぱり気持ちがいいので、体力をさらに失わない程度に、リフレッシュにちょうどいいくらいの度合で、泳ぎにいこうと思う。
 ところでオリンピックの自由形のレースを見ていたら、あの人たちはもう、上半身はほぼ水中にないくらい、むさぼるように前に進んでいて、すごいなあと思った。ちょっと真似してみようと思ってやってみたが、ぜんぜん体は持ち上がらなかった。ファルマンに話したら、「あなたはウナギみたいに泳いでいればいいのよ」と言われ、なんとなく屈辱的だな、と思った。

2024年8月3日土曜日

タイトル・K・はたらくくるま

 戸田恵梨香が主役をやった朝ドラってなんてタイトルだったっけ、とふと気になった。なんだかんだで全編観たのに、タイトルだけがすっぽりと記憶から抜け落ちているのだった。
 2日ほど思い出そうとがんばったが、出てこない。仕方なくファルマンに相談する。林遣都が出ていたこともあり、ファルマンももちろん観ていた。ところが、「えっ、なんだっけ……」と、僕と同じように出てこない。
「なんかカタカナで、4文字か5文字くらいで、「カー」とかが入ってた気がする」というところまで、おぼろげにイメージできているのだが、ふたりともそこから先が出てこない。「「カーネーション」とか「スカーレット」とかが邪魔するんだよ!」と、次第にイライラしてくる。
 数十分悩んだ挙句、降参して、ネットに頼ることにした。
 そして正解を目にし、思わず「えっ」と声を上げた。
「スカーレット」だったのだ。
 それが出てくるせいで正解にたどり着けないと忌々しく思っていたものが、実は正解だったという、こんなパターンは初めてで、てっきり正解を目にした瞬間に、バチンッと蒙が啓けたような快感があるだろうと期待していたので、なんとも言えない気持ちになった。しかし自分たちの脳細胞への猜疑心が湧く一方で、なんかあのタイトルはあまりにもふわふわし過ぎだったのではないかな、とも思った。

 ポルガが、同じ部活動の同級生男子であるKの話ばかりする。Kとは部内での役割が同じということもあり、物理的に距離が近いことに加え、話もやけに合うらしい。そのため、「Kが……」「Kがね……」と、Kのエピソードがとても頻繁に出てくる。
 日々それを聞かされながら、もちろん内心では若干の違和感を抱いていた。なんでこいつは親に、こうも屈託なく異性の話をするのか。思わず何度か「えっ、ちなみにKのこと好きなの?」と訊ねそうになったが、どうもそれを言ったら軽蔑されそうな気配がするぞ、と察知して吞み込んだ。
 しかしポルガは実家でもKの話を披露するそうで、それを聞いた叔母、つまりファルマンの上の妹は、やはり僕と同じように、「あれってなに? Kのこと好きなの?」と気になって、ファルマンに確認してきたらしい。
 そうだよね! あんなに愉しそうに異性の話をするのって、それって絶対に好きってことじゃんね! と安心した。安心したが、やっぱり本人には確認できないし(必ずしなければならないわけでもない)、また頭のどこかで、しかしこれは古い時代の発想なのかもしれない、明石家さんま的思考かもしれない、という推察もあるので、余計に疑念を大っぴらにできず、結局「そうか」とだけ相槌を打ち、鷹揚なふりをして、ただ受け流している。
 なにしろあれらは、半ばオートメーションで個人と個人のコミュニケーションが可能なツールを得ている世代である。われわれの時代は、連絡先を知るということは、それすなわち特別な感情があるということだった。スタート地点が違う。まるで舞空術ができないのにスーパーサイヤ人になれる悟天のようだ。 
 でも簡単につながって、とりあえずダベるのが愉しかったら、なんかもう、あえてそこから先を目指す必要もないという発想になりそうで、こいつらはいったいどのタイミングで、もどかしい恋愛感情に胸を焦がすのだろう、と思った。古い。

 音楽のサブスクでポンキッキのCDを見つけ、聴いたら、感動してしまった。
 特に「はたらくくるま」がよかった。のこいのこが唄う1もよかったし、子門真人が唄う2もよかった。僕は子どもの頃から、車は別にぜんぜん好きではなかったので、テレビで視聴していた当時、特別この歌が好きだったということはなかったはずだが、それでも猛烈な懐かしさがあったし、なにより当時の、少年時代の自分を取り巻いていた世界のきらめきのようなものが象徴されているような気がして、激しく刺さったのだった。
 ポンキッキの放送は、1973年~1993年だそうだ。つまり僕が10歳までは放送されていた。奇遇にもだいたい氷河期世代あたりが、子どもだった頃にポンキッキを観ていたということになる。朝8時。それは放送時間であると同時に、長い目で見れば、われわれがポンキッキを観ていた人生の時間帯であるとも言える。人生の朝8時、1日が始まったばかりで、これからなんでもできる希望に満ち溢れた時間。そこへ、のこいのこ及び子門真人の、張りがあって伸びやかな清々しい声が、痛快に響く。たまらない。いろんな車があるんだな、いろんなお仕事あるんだな。そう信じていた氷河期世代の子どもたち。本当にたまらない。
 最近はよく通勤の車で大音量で聴いている。逆に病んでいるのかもしれない。

2024年7月24日水曜日

発見・一途・赤髪

 学者が科学的に発見したことを、実は市井の人々は感覚として理解していた、という類の話をする。
 ここ数年、日常を過す中で僕が気付いた、世界の法則。
 髭は、ちょうど24時間経つと、ちゃんと生える。
 朝剃ったのが、夕方になると少し伸びている、というのは、それはまだ髭的にはおそるおそる様子を窺っているような状態である。まだ朝剃られたときの恐怖を忘れていない。でも髭の記憶は23時間59分しか持たない。24時間が経った瞬間にそのことはすっかり忘れ、気ままに外の世界へ顔を出す。そしてあえなく剃られ、哀しむ。この繰り返しなのである。
 前日よりも剃る時刻が5分くらい早く、すなわち前回から23時間55分しか経過していないと、明らかに髭の伸びが小さい。剃り心地で明確にそれが判る。
 このことが科学的に検証され、いつか論文が発表されたとき、こんなブログ記事があったということを思い出してほしい。たぶん西暦8000年とかに。

 子どもたちが夏休みに入った。入る前から、もうすぐ子どもたちは夏休みなのだということはもちろん判っていて、だから先週の海の日の3連休も、3連休だやったーと思いながらも、心の中はどこか冷えていた。たとえば、自分が大学の野球部でレギュラーになり、それはもちろん嬉しいことなのだけど、それを知ってお祝いしてくれると言ってきた高校時代の仲間たちは、実はもうみんなプロ野球選手、みたいな、そんな感じだ。お前らが獲得しているものに対して、俺がやっとの思いで得たものの、つましさと来たら!
 でもね、なんで急に野球でたとえたのかと言ったらね、たとえ他のみんなが今を時めくプロ野球選手だとしても、私は、野球部のメンバー全員が一様に好意を寄せていた私は、大学で野球を一生懸命がんばってる、世間的に見れば地味なあなたのことが、高校時代からなぜかずっとひたすらに好きなんだよ、というあだち充的なことを言いたいからで、もうこうなってくると、この心の中の美人マネージャーは、神であり、僕自身であり、つまりは僕こそが新世界の神なんだと思う。

 先週ブリーチをしてまた金髪になったのだが、そのあとはまだ何もしていない。今回は色を入れようと思っているのだが、その色で迷っている。
 脱色的な行為はもう人生最後かもしれないし(するたびに思う)、だとすれば派手な色にしたいな、という思いがあって、赤はどうかと考えた。赤。赤髪。なるほど金髪に対する憧れを叶えたあと、次の少年時代からの憧れということになると、たしかに赤髪かもしれない。赤髪。ふざけている。でもたしかに人生でいちどくらいやってみたい気もする。赤髪だった時代のある人生。
 しかし家族に相談したところ、びっくりするくらい反応が悪かった。夫が赤髪、父が赤髪ということに対し、「え~……」と誰も賛成してくれなかった。ファルマンは「コスプレイヤーみたいだよ」と言ったし、ポルガは「赤髪でハゲてたら最悪だよ」みたいなことを言った。いまハゲてねえし! 赤髪にしたことで将来的にハゲに繋がる可能性はあっても、そのときにはもう赤髪じゃなくなってるし! とムキになって反論した。そもそも娘から毛量のことを言及されたのが初めてで、なんだか驚いた。
 とは言え妻子に反対されながら貫き通すほどの気概もないので、赤は取り止め、今はピンク系で考えている。でもピンクってすぐにただの茶髪みたいな感じなりそうだよなー、などと悩んでいる。

2024年7月11日木曜日

休校史実・愛好家たち・交際開始記念日

 七夕のあたりというのは毎年のように豪雨災害になる。岡山時代に真備がすごいことになったり、今年は日御碕の道が陥落したりと、わりと身近なエリアで発生するので、びっくりする。おとといの帰り道では、テレビでたまに見るような、地面に10センチくらい水が溜まっている場所があり、前の車が普通に進めていたので「まあ大丈夫なんだろう」と思って通ったけれど、なかなかおそろしかった。
 おととい昨日と、線状降水帯も発生し、かなり荒れていたが、今日になってやっと少し落ち着いた感がある。まだ雨は残っているが、いわゆる普通の雨の日だった。
 そして子どもたちは学校が休みだった。
 昨晩に連絡が来たのだった。教育委員会の方針により、全校休校であると。
 真備のときもそうだったが、学校はいつも、風雨がとんでもなかった日の次の日を休校にすることだ。判断が難しいのは分かるけれど、災害級のそれが過ぎ去った翌日の休みで、その前日の、「いま思えば危険だった登校」が救われるわけではない。しかし実際には救われるわけではないのだが、長い目で見たとき、その前後関係は曖昧になり、「真備の水害の際は、子どもたちの安全確保のため学校を休校にした」という史実だけが残りそうで、これはそのための休校なのではないか、と勘繰ってしまう。
 いや、まあ、判断が難しいのは分かるけれども。でもほら、俺、権力が嫌いだから。教育委員会の方針、などと言われると、とりあえず文句を言いたくなるんだよな。

 通っているプールには週にいちどの定休日があって、普通に営業している日には、泳ぐ気分にならず行かなかったくせに、定休日に限って「今日プールが開いてたらなあ!」と地団駄を踏みたくなるほど泳ぎたい気分になる、というのは、プールあるあるだと思う。たぶん会員同士で話したら、「めっちゃわかる!」と盛り上がることだろう。会員に親しい人がひとりもいないので、想像だけども。
 ところで先日、プールの更衣室で、僕以外の会員同士がこんなやりとりをしていたのである。
「〇〇さん、明日はプール、休みですからね」
「分かってるよ」
「休みなんですからね」
「分かってるって」
 そのときは、うるせえなあ、つるむ奴ら嫌いやわー、としか思わなかったのだけど、あとになって、なんだあの会話、と思った。だってプールの定休日は、会員なら分かり切っていることなのだ。それなのになぜそれをわざわざ声に出して伝えたのか。
 怪しい、と思った。
 連想したのは、最終バスが行ったあとの深夜に、なぜか運行しているバスだ。それは知る人ぞ知る乱交バスで、愛好家たちがひそかにスリルを味わっている。主人公の女の子は、間違えてそれに乗り込んでしまい、ひどい目に遭うのである。
 そういうパターンのエロというのがあるだろう。
 もしかしてそれなのではないか、と思った。
 定休日のプールには、普通の人間は近付かない。なぜなら定休日だからだ。しかし実はそこでは、プールを舞台にした酒池肉林が開催されているのではないか。だって、そうでもなければあの会話は本当に理解ができない。たしかに日々どうでもいいことを大声でのたまう迷惑な人たちだけど、それにしたって文言通りであればあまりにも無駄な会話である。もしかしてあれは、周囲に向けて、新たな参加者を募るメッセージだったのではないか。そんなの創作の世界だけの話だと思っていたのに、現実にあるんだな。
 だとすればもったいないことをした。僕はその翌日の、定休日のプールには行かなかった。行けばよかった。水着ものっていいよね。

 7月8日はファルマンと僕の交際開始記念日である。
 毎年、祝うんだか祝わないんだか、とても微妙な扱いで、今年ももちろんそうだった。それでも仕事帰りに、なんかしら買って帰ろうかしらと思い、なににするかしばし思案する。
 花は、ずっと前にあげたところ、ファルマンは花瓶の水を取り替えることをせず、花と水が腐臭を放ち、さらには虫もたかって、さんざんな気持ちになったので、もう二度と贈るまいと思った。
 ケーキは、先日書いたように家族で僕ばかりが突出して好きなだけで、子どもたちはそうでもないし、ファルマンに至っては「重い」と言って半分残し、「あとは明日食べるね」などと言っておきながら、そのまま冷蔵庫で腐らせたりするので、やはり贈ってもろくなことがない。
 そんな思考の末に僕が買って帰ったのが、日本酒とかっぱえびせんで、ファルマンは「これよ、これ」と満面の笑みを浮かべた、21年目でありました。

2024年7月3日水曜日

ファルマンの懊悩・ブーの夢・ホイップクリームvs

 7月に入り、ちゃんと暑い。6月の終わりにやっと訪れた梅雨は、あちこちで被害はあるようだが、自分の生活圏では今のところあまり大したことなく、それよりも暑さのほうに気を取られている。梅雨がなんとか勇気を振り絞ってステージに上がったというのに、続けて暑さもすぐに現れたため、観客の目はやはりスター性のある暑さにばかり集中してしまい、梅雨は鬱屈を募らせるという、なんかそういう構図。怒らせたら怖いのに。
 こう暑いと、就寝時のエアコン操作が悩ましい。悩ましいと言ったが、横になったらすぐに寝ることで有名な僕は、実はなにも悩んでいない。悩んでいるのは、寝付くのに時間を要し、しかも汗をかかない体質のファルマンである。毎晩とても苦心しているようで、ご苦労様なことだと思う。そうねぎらいたい気持ちは、僕としては大いにあるのだけど、ファルマンのエアコン操作の懊悩においては、素っ裸で寝ている夫、というのも厄介なファクターのひとつであるらしく、意思と現実はなかなか噛み合わない。ファルマンには憂いなく快適に寝てもらいたい。でも服を着て寝るつもりは一切ない。なのでエアコンの風は細心の注意をして設定していただきたいと思う。

 おもしろい夢を見た。
 いかりや長介と、仲本工事と、僕の3人で、もちろんバラエティ的な感じの、チチチチチ、と音を立てる黒いボール状の時限爆弾を、互いに投げ合う夢。
 もうこんなの、絶対におもしろい。爆発しそうな爆弾を相手になすりつけ合うとか、おもしろいに決まってるじゃないか。なんで誰かが遠くに投げて全員で逃げないんだ、などと無粋なことを言う者などひとりもいない。長介と、工事と、僕は、恐怖で興奮しながら、時限爆弾をひたすらパスし合っていた。もしかすると、別収録のおばさんたちの笑い声もあったかもしれない。
 起きてからしみじみと、「おもしろかったなあ……」と思った。おもしろさとは要するにああいうものなのかもしれないと思った。自分が高木ブーの役回りであったことも含め、ひたすらおもしろかった。

 スーパーで売っている、4切れ入りのロールケーキがあるだろう。スイスロールではなく、中心にたっぷりとホイップクリームが入っている、300円前後するやつ。あれがたまに安くなっていたりすると、わあ、となって買って帰るのだけど、先日それが冷蔵庫で売れ残っているのを目の当たりにし、びっくりした。ロロ、ロールケーキが、持て余されてる、だと……? ファルマンに訊ねたら、
「あー、子どもたちはそこまでこういうの好きじゃないからね」
 という答えが返ってきて、ショックを受けた。
「こういうのより、ゼリーとかのほうが好きなんだよ」
 そして極めつけはこれである。
「って言うかあなたがこの家でいちばん、やけにホイップクリームが好きだよね」
 なんてこった、と思った。ホイップクリームとは、いつなんどき、どんな状況でも、最高にハッピーなものであると、人類全員においてそうであると、疑わずに生きてきたけれど、もしかしてそうではないの? それはホイップクリームが特別好きな人の考え方だっていうの? 実は僕はそっちの部類の人間だったの? 全員がこうなんじゃないの? えっ、ゼリー? ホイップクリームvsゼリー? 誰がゼリーに賭けるの? そんなのオッズがとんでもないことになるんじゃないの? そうでもないの? マジで?
 それにしても、ホイップクリームが絶対的なものであると信じて疑わない父と、実はゼリーのほうが好きな娘たち、というのが、なんだか非常におじさん的な、昭和的な、哀愁を感じさせるエピソードで、これが自分の身に起った出来事だなんていまだに信じられずにいる。