2023年5月28日日曜日

整理・サプリ・市民プール万歳

 暑くなってきたので、布の整理をした。どういうことかと言えば、部屋のエアコンの前にタンスがあり、そのタンスの上に布を収納したカゴを積み重ねているため、このままだと冷房の風がカゴに直撃して、部屋が冷えなそうだったからだ。暖房はエアコンに頼らないので問題なかったが、冷房は如何ともし難いため、このタイミングで実行した次第である。去年の夏はどうしてたんだろうと思い返したら、去年はたぶん、今よりも布が少なかったので、そこまで積み重なってなかったんだと思う。でもあまりこのことに言及するとファルマンが憤怒するので、素知らぬふりをしていよう。
 これに合わせ、去年の末に紹介したように、これまでは作ったショーツを、コンパクトにたたんでぴったり10枚が収まる小ぶりのケースに詰め、それを積み重ねて使っていたのだけど、3棟くらいのタワーになったそれから、本当にその日の気分で穿くショーツを選ぶということはなかなかできず、どうしたって上のほうにあるケースから取り、それが洗濯から戻ってきたらまたそれを穿く、みたいな感じになってしまっていて、せっかく130枚ほどもあるのにぜんぜん有効に活用できていないということを切に感じていたため、この機にその仕組みも刷新した。すなわち、スーパーの買い物カゴほどもある大ぶりのカゴひとつに、たたんだショーツをすべて入れることにしたのだった。これまでの10枚ずつの収納では、微妙に色別やタイプ別で分類する気持ちがなくもなかったのだが、これからはそんな作業に煩わされることはない。選ぶときも、ショーツのプールの中に手を突っ込んで、その日の1枚を選べばいい。ショーツのプールという言葉がいいな。普通のプールももちろんいいけれど、ショーツのプールでも泳いでみたいものですね。

 サプリの止め時が分からない。何種類かのサプリを定期購入に設定し、日々せっせと服んでいるのだけど、果たして意味があるのかと疑う気持ちが沸々と湧き上がる瞬間がある。服み始めた直後は、なんとなくそれまでよりも体が楽になった感じがあったのに、2年くらいするとそれが普通になってしまい、この体の状態は自力のものであり、別にサプリなんか服まなくっても変わらないんじゃないか、と思えてくる。民衆とは勝手なものだ。しかし、じゃあ実際にやめるかと言われると、やめた瞬間に体の調子がガクガクッと崩れるのではないかという恐怖心があり、やめられない。だとすればこれはもはや一種の中毒ではないのか。そんな、自分の体が、サプリメントによって糊付けされてようやく人の形を保っているわけじゃあるまいし、とも思うが、なかなかやめる勇気は出ない。もうお守りのような感覚で、一生携えていくしかないのかもしれない。活力のお守り。活力のお守りって、もうだいぶスピリチュアルな感じがある。サプリメントマザーのご加護がありますように。

 前から存在は知っていて、気になっていた、「ロバート秋山の市民プール万歳」という番組が、プライムビデオに出た(気づかなかっただけで前からあったのかもしれない)ので、喜んで観ている。喜んで観ているのだが、コンセプトにはものすごく魅力を感じる一方で、回を進めるうちに、ロバート秋山自身も大いにそれを感じているように見受けられることとして、どんな街のどんなプールでも、泳ぐさまは一緒、という抗いようのない事実を突きつけられる。僕も3月に、わざわざ旅行先の倉敷で市民プールに行ったけれど、泳いでみて、うん、泳ぐという行為、水と自分との関係性というのは、結局どのプールでやっても同じだな、そりゃそうだよな、ということを思った。番組は回を重ねるごとに、秋山がプールで泳ぐ時間も距離もどんどん短くなり、ほぼ街ブラの様相を呈するようになってきた。別にいいんだけど。

2023年5月11日木曜日

昼顔・脱出・進路

 GWを利用してレンタルDVDで一気に観た「昼顔」の、映画版はamazonプライムにあったので、こちらも観た。すなわち、全てを観終えたのだった。映画版の結末は、実は観る前から知っていた。まだ僕が観る決意をしていなかった段階で、ファルマンが喋ったからだ。だいぶショッキングな内容なので、先に聞いていてよかったような気もするし、面白味として当然よくなかったような気もするし、どちらなのか判断がつかない。
 映画版は夏の海が舞台なのにトーンが暗く、つらかった。ドラマ版の吉瀬美智子と高畑淳子が恋しかった。あのふたりが物語を、背徳的なだけではない、エンターテインメントにしてくれていたのだな、と気付いた。
 全体を通しての感想としては、不倫はよくないと思った。小学生のような無邪気な感想。でもそれに尽きる。ノリコが怖い、ということをファルマンに向かって言ったら、「あれはあたいだよ。あたいもああなるから覚悟しなよ」とたしなめられたのだけど、ファルマンがハマり、DVDを借りに行かされ、「お前も観ろ」と言うから観た結果、なぜ僕がたしなめられなければならないのだろうかと思った。あまりに不条理ではないか。さらに言えば、この僕は、父が不倫して外に子どもを作って崩壊した家の子どもである。不倫のつらさ、周囲に与える迷惑は、ちゃんと知っております。小2の頃から、知って、いるんですよ……。

 宇宙関係が立て続けに失敗していた。H3が打ち上げを失敗し、イーロン・マスクのロケットも大爆発し、民間企業の宇宙船の月面着陸が失敗していた。
 それらのニュースを見ていて、「ああ失敗したんだ、難しいんだなー」と、どこか他人事で受け止めていたのだけど、それは当面のところ、地球がどうにかなってしまう予定がないからで、地球が例えば5年後や10年後に住めなくなってしまうとしたら、これらのニュースの絶望感って半端ないだろうな、と思った。つまり、「発射」というから危機感が湧かない。これを「脱出」にしたら、世間の宇宙開発への関心も一気に高まる気がする。
 あとこれを口にすると途端にトンデモ論者っぽく見られてしまうリスクがあるけれど、それでもなお言いたい、言わずにおれないこととして、アポロ11号は月に行っていないと思う。行って、さらには帰ってきたという。50年以上前に。いやいやいやいや。

 ポルガが中学生になり、部活にも入り、1年生なのでまだ本格的な体制にはなっていないのだけど、それでも部の予定表など見ると、土曜だったり、あまつさえ日曜日なんかも活動日になっていたりして、衝撃を受ける。衝撃を受けるが、考えてみたら自分も中学生の頃、バスケ部で、週末に練習試合とか大会とかに行っていた(ほとんど出場しなかったくせに)。中学生になって部活に入るとはそういうことだ、とは思いつつも、これまでの、週末は基本的に家族で、気候が良ければ公園に行ってお弁当を食べる、みたいな日々は、もうこれで終わってしまったのだと思うと、とても寂しい気持ちになる。たぶん、わが家は、やけにそういうことをするほうの家族だった。両親に、外の人間関係が皆無なので、余計にそうだったのだろうと思う。
 そして中学生になったということは、じきに進路などという話題も出てくるということだ。悲しい。もはや寂しいを通り越して、僕はそれがとても悲しい。わが子が、進路とか、そういうことに向かい合う。なんだそれ、と思う。いつまでも無垢で幼いままでいればいいものを。宮崎駿の心の叫びが、ひどく胸に沁みる。
 それは「ポニョ」のセリフだが、そうだ、僕はいま「魔女の宅急便」を観るべきかもしれない。たぶんすごく泣くと思う。想像しただけで泣けてくる。