これに合わせ、去年の末に紹介したように、これまでは作ったショーツを、コンパクトにたたんでぴったり10枚が収まる小ぶりのケースに詰め、それを積み重ねて使っていたのだけど、3棟くらいのタワーになったそれから、本当にその日の気分で穿くショーツを選ぶということはなかなかできず、どうしたって上のほうにあるケースから取り、それが洗濯から戻ってきたらまたそれを穿く、みたいな感じになってしまっていて、せっかく130枚ほどもあるのにぜんぜん有効に活用できていないということを切に感じていたため、この機にその仕組みも刷新した。すなわち、スーパーの買い物カゴほどもある大ぶりのカゴひとつに、たたんだショーツをすべて入れることにしたのだった。これまでの10枚ずつの収納では、微妙に色別やタイプ別で分類する気持ちがなくもなかったのだが、これからはそんな作業に煩わされることはない。選ぶときも、ショーツのプールの中に手を突っ込んで、その日の1枚を選べばいい。ショーツのプールという言葉がいいな。普通のプールももちろんいいけれど、ショーツのプールでも泳いでみたいものですね。
サプリの止め時が分からない。何種類かのサプリを定期購入に設定し、日々せっせと服んでいるのだけど、果たして意味があるのかと疑う気持ちが沸々と湧き上がる瞬間がある。服み始めた直後は、なんとなくそれまでよりも体が楽になった感じがあったのに、2年くらいするとそれが普通になってしまい、この体の状態は自力のものであり、別にサプリなんか服まなくっても変わらないんじゃないか、と思えてくる。民衆とは勝手なものだ。しかし、じゃあ実際にやめるかと言われると、やめた瞬間に体の調子がガクガクッと崩れるのではないかという恐怖心があり、やめられない。だとすればこれはもはや一種の中毒ではないのか。そんな、自分の体が、サプリメントによって糊付けされてようやく人の形を保っているわけじゃあるまいし、とも思うが、なかなかやめる勇気は出ない。もうお守りのような感覚で、一生携えていくしかないのかもしれない。活力のお守り。活力のお守りって、もうだいぶスピリチュアルな感じがある。サプリメントマザーのご加護がありますように。
前から存在は知っていて、気になっていた、「ロバート秋山の市民プール万歳」という番組が、プライムビデオに出た(気づかなかっただけで前からあったのかもしれない)ので、喜んで観ている。喜んで観ているのだが、コンセプトにはものすごく魅力を感じる一方で、回を進めるうちに、ロバート秋山自身も大いにそれを感じているように見受けられることとして、どんな街のどんなプールでも、泳ぐさまは一緒、という抗いようのない事実を突きつけられる。僕も3月に、わざわざ旅行先の倉敷で市民プールに行ったけれど、泳いでみて、うん、泳ぐという行為、水と自分との関係性というのは、結局どのプールでやっても同じだな、そりゃそうだよな、ということを思った。番組は回を重ねるごとに、秋山がプールで泳ぐ時間も距離もどんどん短くなり、ほぼ街ブラの様相を呈するようになってきた。別にいいんだけど。