2022年7月21日木曜日

夏プール・理念と業者・選考

 実はわりとプールに行っていない。前に行ったのは先週の月曜日だから、もう10日だ。
 行きたい気持ちは日々あるし、なにしろ夏なのだから今こそプールを存分に堪能すべきだろうと思うのだが、「今日こそ帰りにプールに寄るぞ」の気持ちは、10時くらいをピークにして、労働中にみるみる減退し、退勤時にはすっかり「もう買い物だけして帰ろう、そしてビール飲もう」状態になっている。毎日それの繰り返しだ。
 夏だからプール、というのは一方では道理だけど、夏で体力が減退していて運動どころじゃない、というのもまた道理である。水泳は、水気が目くらましになっているけれど、紛うことなく運動だ。そう考えれば、夏にそれがままならなくなるのは自然の摂理だろう。
 1年会員になったので、元を取ることに囚われ気味になっているきらいがあるのだが、実は7月8月は一般利用の料金が、それ以外の月に較べて高くなるので、ここでたくさん行っておくと「元取りポイント」が効率よく得られる。しかし意欲も高まっていないのに努めて行って、挙句の果てに疲弊したら、文字通り元も子もない。本当に行きたさが高まった瞬間以外は、無理をしないようにしようと思う。そして秋や春にたくさん行こう。冬は冬でもちろん行きづらい。こうして考えると、1年会員ってなかなか難しいな。

 minneがまったく低調である。単純に自分の売り物が売れていないというのもあるが、minneという媒体そのものに、魅力を感じなくなってきた。
 会員なので、ニュースレターが届くのだが、先日「夏のサンダル特集」という内容のものが送られてきた。見ると、出品されているサンダルが羅列されていた。それを眺めていて、これまでうっすら感じていたことが、確信になった。
 minne、もうあんまり素人のハンドメイド作品販売の場でなくなっている。
 サンダルじゃなくても、バッグでも洋服でも、素人が趣味で作っているレベルを超えているようなものが多いと感じていた。またその商品画像が、やけにこなれていたりして、どうも怪しいと思っていた。まるで褒め言葉のようだが、あまり褒めていない。minneの実際のところの理念なんかはよく知らんが、僕の捉えていたminneのそれからは、逸脱していると思った。そんなのは、ちゃんとセレクトショップとかに卸して売ればいいだろう。minneが目指すのってそういうところなのか。本格的で、プロっぽい、素人っぽさを削ぎ落したものが、良しとされるのか。それを良しとするのなら、そういうものを買いたいというのなら、その消費者はminneではなくお店に行けばいいのではないか。
 ヤフオクとかを見ても、同じことを感じる。ハンドメイドに限らず、一般商品の中古品においても、たくさん売り買いをしている人のやり口は、もはや業者のそれだ。そして買う側も、結局のところそういう実績のある人のところで買いたがる。じゃあそれ、もう商売じゃん。生業じゃん。はじめの理念はどこへ行ったんだ。
 どうやらもう終わったらしいが、「99人の壁」という番組も、そのままこれだった。最初は100人の、それぞれの得意ジャンルを持った人間がスタジオに集まり、そのうちのひとりが選ばれ、その人のそれが歴史なら歴史のマニアックな問題が出題されるが、その歴史の問題において、スタジオの99人の中にたまたま、その歴史上の出来事が起こった土地の鉄道が得意ジャンルの人がいて、そうやってたまたま重なった知識で、その人が正解をかっさらうと、歴史の人は脱落となり、次に鉄道の人が回答者になる、という仕組みの番組で、はじめのうちはおもしろかったのでよく観ていたが、番組作りに問題があったのと、普通に数字がよくなかったのか、末期においては最初の理念は見事に吹き飛び、「アニメ特集」などと銘打って、アニメに詳しい人間が100人集められた、ただのカルトクイズ大会みたいになっていた。
 雑多なもの、ジャンクなものは、はじめ魅力的に映るのだけど、結局は多数派の、正当なもの、評価しやすいものに収斂されて、おもしろくもなんともないものになる。
 minneに対して、いま痛烈にその感じを抱いている。

 cozy ripple新語・流行語大賞の選考がはじまった。早い。普段は9月の終わりあたりから始まるのだが、なにしろ今年の場合は、去年開催が見送られたため、2年分なのだ。去年は投稿数が少なくて成立しなかったからそうなったとはいえ、それでも2年分は2年分なのだから、準備期間も長く見ておかなければならないと思い、始めた。
 選考対象は、前回の大賞発表の翌日以降の記事からなので、はじめは2020年の11月ということになる。もう、ほぼ2年前。2年前ともなると、ちょっともう年下めいているというか、後輩めいていて、なんだかかわいい。このなんだかかわいい生き物が、日々せっせと生き、なにかを思い、そしてブログを書いたのだと思うと、しみじみ愛しい。読み返して、そんな思いを抱いている。2年空くと、こんな気持ちになるという発見である。

2022年7月8日金曜日

記憶・発言・知識

 7月8日はファルマンとの交際開始記念日である。しかしながら入籍記念日が8月8日ということもあり、いつも微妙な感じになる。祝うのは来月でいいか、となる。今年もそんな感じだ。
 それでも今年は僕にとってちょっと節目で、交際開始時の年齢が僕は19歳なので、単純に満年齢だけで考えれば、38歳の今年はちょうど倍の年数ということになるのだった(ファルマンは既に20歳だったので、倍になるのは2年後だ)。つまりもう人生の半分、ファルマンと一緒にいるということになる。意外だ。もっと長いような気がしていた。なにしろ過去の記憶があまり残らないタイプの人間なので、「ファルマン以前」の自分が、「ファルマン以後」と同じ長さを持っているということに、逆に驚いた。
 そんな節目の7月8日が、ずいぶんセンセーショナルな事件のあった日の記憶となってしまった。

 桜田元五輪担当大臣による、少子化問題に関する演説の中で、「女性はもっと男に寛大になってほしい」という発言があり、ちょっと問題になった。そのことについて思うところがあったので、私見を述べようと思っていた。そうしたらこんなことになって、この話題は世間から一気に掻き消えてしまった。おっさん政治家の女性蔑視的な発言がバッシングの的になる世界って、すごく平和だったんだな、と思う。
 それでもやっぱり書きたいから書くが、この発言に関するニュースで、街の声として女性がインタビューに答えていたのだが、その女性がこのようなことを言っていたのだ。
「これでもだいぶ許してるんですけどね」
 これを聞いて、この齟齬は未来永劫解決不能なのだな、としみじみと思った。男の「許されたさ」と女の「許せさ」は、たぶんK分くらい違う。男の許されたさが100kgのとき、女の許せさは100gぐらいだと思う。つらい。

 安倍元総理が暗殺された。ショックだ。政治に関することは知識がないので書かない。書けない。本当にバカな子っぽいが、僕にとって安倍さんは、テレフォンショッキングに出た人であり、ボキャブラ天国が好きだった人であり、サンドの伊達にモノマネされる人であり、マリオの人であり、マスクの人だ。こう考えるとけっこう親しみがあるような気がしてきた。国民に遍く配られたアベノマスクが、形見になってしまった。ご冥福をお祈りいたします。