そんな疑念を渦巻かせつつ、今の僕は静寂の中にいる。春休みに入った子どもとファルマンは、今日から島根に里帰りなのである。というわけでここから数日の独り暮し。寂しい男やもめ。帰宅すると、静かで、部屋がきれいで、寂しくって辛抱たまらん。
健康診断を終えたあと、少しだけチューハイを飲んだが、ビールはまだ飲んでいない。やっぱり情熱がだいぶ下がった。飲まなくても大丈夫感がすごい。
思い返せば僕は今年の1月に、「僕等は瞳を輝かせ、沢山の話をした」に、「ビールは友達」という文章を書いた。ビールは僕のことを労い、優しくしてくれる。だからビールは僕の友達だ、という内容だった。
あんな文章を書いたからではないか、と思った。ビールを友達としてしまったから、僕とビールの間には距離が生まれる結果になったのではないか。僕という人間と、友達という存在は、どうしたって離別していく運命なのではないか。万有引力の逆バージョンのような、謎の力がここには存在するのではないか。
第1弾がビールだった「〇〇は友達」シリーズは、これから「ブログ」とか「ちんこ」とかでも書こうと思っていた。でも上記のデスブログ的な恐怖から書くのをやめた。そのかわり、「人の悪意」や「人の哀しむ顔」を友達と言えば、僕の人生からそれらは遠のくのではないかと思う。でもそんな文章、書いたら頭おかしいと思う。
プールは4月も月会員を継続することにした。労働帰りのエクササイズの充実感、いちど知ってしまったらそうそうやめられない。
それに週に3回くらいせっせと泳いでいるだけあって、ひと月でかなり泳げるようになってきた。はじめは小刻みにプールから上がって、ベンチでしばらく休んだりしながら、騙し騙し300メートルから400メートルほどを泳いでいたものが、今ではぶっ通しでその倍くらいの距離を泳いでいる。そして息も全然あがらない。
肺活量とかが鍛えられたのもあるだろうし、なによりこのところめっちゃ本を読んでいるのだ。クロールの泳法の本。もう10冊くらい読んだ。どうすれば楽に長い距離を泳げるのか、作者や出版年によって、書かれている内容はもちろん微妙に異なっていて、そのときどきで直前に読んだ本の泳法を試している。いろいろ意識しすぎて泳ぎ方がぎこちなくなっているきらいもあるけれど、採用できる部分は採用している。どの本を読んでいても共通しているのは、どれだけ水の抵抗を減らせるかが鍵だ、という点だ。水中の運動は、水の抵抗があるからこそ地上の運動よりも効果的だが、しかし大事なのはその抵抗をどれだけ受けずに運動できるかなのである。ここにスイミングの情趣がある。泳ぐ習慣のないあなた方にはまるで理解できない情趣でしょうけれども。