2月が終わる。今晩、約2週間ぶりに家族とともに食卓を囲んだ。こう書くとまるでこの期間とても忙しく立ち回っていた人のようだが、普通に夕方に家に帰って、同じ時間に晩ごはんを食べていた。ただし僕だけが居間でなく、作業部屋の自分のパソコンデスクで、キーボードをどけて食べていた。僕以外の家族が順繰りにインフルエンザB型に罹ったので、隔離策が取られていたのだった。その甲斐もあり、僕はなんとか感染を免れ、わが家のインフルエンザ禍は終息したようである。
子どもとの食事は、上のも下のも行儀が悪く、そして両者ともに頑固でへそ曲がりのため、それはもう苛々させられるのだけど、しかし2週間ぶりともなれば郷愁のほうが勝ち、またこうして平和に健康で食卓を囲むことができる幸せ……、となるはずだったのだが、案外そんなこともなく、2週間のブランクをあっという間に埋める圧倒的な才能の前には、うなだれるほかなかった。
早く最高気温が15度くらいにならないかな、と思っていたら、案外すんなりとやってきた。これからどんどん気温が上がり、日が長くなるわけで、あんまりそういうのを意識したことなかったけど、このあたりが1年でいちばん好きな時期かもしれない。桜のつぼみにまだ目立った変化はない。外でお弁当を食べるのはもうちょっと待つ必要がある。
たまに期限を切らしてしまった食パンを、散歩の際に池のカモやハトにやるのだけど、帽子やコートで覚えられたのか、パンを持っていない日でも池に近付くとカモが寄ってくるようになり、気まずい。気まずすぎて引き返したりする。はじめ善意のつもりだった行為が、やがて束縛のようになってくるという、よくあるパターン。パンをやる日、カモとハトが殺到する様は壮観なので、インスタにアップしときます(グロ注意!)。
すごく好きな人と付き合うと、その最高地点から減点法でどんどん魅力が目減りしてしまうけど、そんなに好きじゃない人と付き合ったら、ゼロからのスタートで加点だけされていくから、案外そのほうが結果的にはよかったりするよ、みたいな言い回しを読んだ。
それを読んで、僕は他人に対して、ゼロ(あるいはマイナス)からのスタートで、そこからさらに減点法を採用しているなあと思った。道理で。道理でこんなにうすらさみしいわけだ。
2018年2月28日水曜日
2018年2月23日金曜日
ライナス・パラレル・ワンガリ
相変わらず職場にバトンを持っていっている。それで日々昼休みに練習に勤しんでいるかと言えば、実はそんなことはなく、滅多にやらない。たぶん2週間にいちどくらい、15分くらいだけしか回していない(だから特に上達もしていない)。それだのに毎日必ずバトンを持って出勤しているのは、もはやライナスの毛布的な意味合いなのかもしれない。ないと不安でしょうがないということはないが、自分の中でさまにならない気持ちがする。そしてそれはやっぱり、DNA的な部分から来る、武器を誇示する男性的な発想なのかもしれない。紺色の市松模様の手作りの袋の、その中身はバトンだけど。刀の代わりにバトンを背負うバトン侍。ちょっと画期的なのではないか。え? 既に似たようなのがあった? ギター? そっかー……。残念!
盛り上がっているピョンチャンオリンピックなのだけど、それなりにいろいろな競技を眺めていて改めて感じたこととして、カーリングが圧倒的につまらない。思えば初めてこの競技を知った十数年前から、ずっと忸怩たる思いを抱き続けている気がする。カーリングがどれほどつまらないのかと言えば、他人の見た夢の話くらいつまらない。もしかしたら本当に他人の見た夢なのではないかとさえ思う。もちろん世の中に他につまらないものはたくさんあるので、カーリングがこの世からなくなればいい、などとは言わない。あったっていい。しかしオリンピックの競技ではなければいいと思う。一体なにがどうなって、この世界ではカーリングがオリンピック競技になったのか。おそらくパラレルワールドの大抵の宇宙においては、カーリングはオリンピック競技ではないと思う。俺のとこの宇宙ではカーリングがオリンピック競技だぜ、と別のパラレルワールドの住人に話したら、「マジかよ、どんなおとぼけ宇宙だよ(笑)」「じゃあお前んとこの宇宙では麻雀もオリンピック競技なのかよ(笑)」などと爆笑されることだろうと思う。そしてそいつらはふたりとも抜けた陰毛を編んで作った眼帯を左目に着けている。そんなパラレルワールドが大半を占める。
「もとい」という言い回しがある。言い間違えを即座に改めるときに使う言葉。「屁、もといウンコしたい」とか「目糞、もとい目やにが付いてるよ」という風に使う(用例が小学生)。辞書を開いたところ、もともとは「元へ」という号令から来ているらしいのだが、ぜんぜんそんな気がしない。そんな感触ではなくこれまで接していたので、急に軍隊用語だと言われても違和感がある。イメージ的には、やまとことばとか、あるいは漢語の書き下しとか、なんかそんな感じがあった。それはそれとして、なぜ急に「もとい」のことを確認したかと言えば、この「もとい」という言い回しは、文法とかまったく関係なく、言い換えたい言葉のあとに自由にぶっ込むことができるので、とても便利だ、というレベルを超えて、もはや言語を有するすべての人類が、使おうと思えば使えるのではないかと思ったのである。そうして捉えてみると、「もとい」というちょっと不思議な音が、どこかフランス語のように聴こえてくるのだった。いけるんじゃないか。ワンガリのMOTTAINAIに続くのは、パピロウのMOTOIかもしれない。あの世で待ってろ、ワンガリ!
「もとい」という言い回しがある。言い間違えを即座に改めるときに使う言葉。「屁、もといウンコしたい」とか「目糞、もとい目やにが付いてるよ」という風に使う(用例が小学生)。辞書を開いたところ、もともとは「元へ」という号令から来ているらしいのだが、ぜんぜんそんな気がしない。そんな感触ではなくこれまで接していたので、急に軍隊用語だと言われても違和感がある。イメージ的には、やまとことばとか、あるいは漢語の書き下しとか、なんかそんな感じがあった。それはそれとして、なぜ急に「もとい」のことを確認したかと言えば、この「もとい」という言い回しは、文法とかまったく関係なく、言い換えたい言葉のあとに自由にぶっ込むことができるので、とても便利だ、というレベルを超えて、もはや言語を有するすべての人類が、使おうと思えば使えるのではないかと思ったのである。そうして捉えてみると、「もとい」というちょっと不思議な音が、どこかフランス語のように聴こえてくるのだった。いけるんじゃないか。ワンガリのMOTTAINAIに続くのは、パピロウのMOTOIかもしれない。あの世で待ってろ、ワンガリ!
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